成就院。文明年間に開基、東海三十三観音霊場、東国八十八ヵ所霊場、武相不動尊霊場
成就院の概要
真言宗智山派寺院の成就院は、明王山聖無動寺と号します。成就院は、紀州高野山の僧明辨が文明年間(1469-1486)に開基、元亀年間(1570-1573)には小田原北条氏から寺領8石の寄附を受けたといいます。東海三十三観音霊場5番、玉川八十八ヶ所霊場4番、東国八十八ヵ所霊場4番、武相不動尊霊場27番です。
山号 | 明王山 |
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院号 | 成就院 |
寺号 | 聖無動寺 |
住所 | 川崎市川崎区渡田3-8-1 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
成就院の縁起
成就院は、紀州高野山の僧明辨が文明年間(1469-1486)に開基、元亀年間(1570-1573)には小田原北条氏から寺領8石の寄附を受けたといいます。
新編武蔵風土記稿による成就院の縁起
(渡田村)成就院
村の西にあり、明王山聖無動寺と號す、新義真言宗荏原郡高畑村寳幢院末、當寺は元亀年中小田原の北條家より寺領五石、不動へ三石の免田を寄附せられしと云、その文書等もありしが、慶長年中住僧辨山の代盗の為に舊記等奪はれしにより其後證とすべき物なく、願ふべき頼りなければ自ら衰へしよしただ口碑に傳へたり、又文明年中紀州高野山の僧明辨の開基の由なれど其慥なることは今より知べからず。本尊弥陀長三尺許なるを安ず。客殿七間に八間門南にむかへり。
不動堂。境内に入て左の方にあり、相傳ふ弘法大師の作にして新田左中将義貞武州入間川の邊へ出陣の時、二童子夢に入りて鎌倉退治の心あらば、これより南橘樹郡亘田の里に安置せし不動に祈誓せよとの告をかうむり、夫よりして義貞守本尊とせしと云傳ふ、立像長一尺五寸餘、堂の大さ東向にて二間半に二間なり。
観音堂。境内にあり、如意輪観音にして二三寸許の坐像なり。
地蔵堂。門前に建り、纔の平屋なり、石の像、長六尺許天和二年と彫れり。
古碑一基。寺の背後、墓所の中にたてたり、徳治三年十月日と刻せり、徳治三年は則延慶元年にて花園院御即位の年なれば、當寺を開闢せしと云、文明年中よりは百三十年前のことなり、寺につきし碑にあらざることしるべし、此墓所當寺境内の外にて別に八畝餘地なり。(新編武蔵風土記稿より)
成就院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿