明長寺。文明年間に創建、東海三十三観音霊場
明長寺の概要
天台宗寺院の明長寺は、恵日山普門院と号します。明長寺の創建年代は不詳ですが、静圓法印(永正16年1519年寂)が文明年間(1469―1487)に創建したと伝えられます。当寺所蔵の葵梶葉文染分辻ヶ花染小袖は、桃山時代に流行した絞り染めの技法といい、国重要文化財となっています。東海三十三観音霊場24番です。
山号 | 恵日山 |
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院号 | 普門院 |
寺号 | 明長寺 |
本尊 | 十一面観音立像 |
住所 | 川崎市川崎区大師本町10-22 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 東海三十三観音霊場24番 |
明長寺の縁起
明長寺の創建年代は不詳ですが、静圓法印(永正16年1519年寂)が文明年間(1469―1487)に創建したと伝えられます。現本堂は、第七世住職良逢が明和2年(1765)、或いは天明2年(1782)に再建したものといいます。
新編武蔵風土記稿による明長寺の縁起
(大師河原村)明長寺
村の北の方川中嶋村(川崎大師)平間寺の邊にあり。恵日山普門院と号す。江戸東叡山末にて先住静圓法印と云し人は、永正16年9月16日寂すと記したれば、其頃よりありしことは自らしらる。本尊十一面観音立像にて7寸余なり。慈覚大師の作なりと云。本堂8間に6間、南に向ふ。
稲荷社。境内にたてり小祠。(新編武蔵風土記稿より)
明長寺所蔵の文化財
- 葵梶葉文染分辻ヶ花染小袖(国重要文化財)
- 紙本着色 地蔵菩薩及び十王図(川崎市重要歴史記念物)
川崎市教育委員会掲示による明長寺の文化財
明長寺の文化財
天台宗明長寺所蔵の葵梶葉文染分辻ヶ花染小袖は、荻田主馬長繁という武将が松平忠直(徳川家康の孫)に従い大坂の陣で大功をたてたことにより、家康から拝領したものと伝えられています。辻ヶ花染は室町時代に起こり、桃山時代に流行した絞り染めの技法で、江戸時代初頭に消滅したため「幻の染め」と呼ばれています。
また、紙本着色地蔵菩薩及び十王図は、江戸時代中期のものと考えられ、亡者を救済する地蔵菩薩を筆頭に、初七日に最初の裁きを受け持つ秦広王から最終の裁き(三回忌)を受け持つ五道転輪王までの十王が一幅毎に描かれています。画面は、各々罪人を裁く王とその眷属、下部に責め苦を受ける亡者などが描かれ、これらの地獄の情景を当時の人々の感性で色彩豊かに明るく表現しています。
現在の本堂は明和2年(1765)に再建されたものです。(川崎市教育委員会掲示より)
明長寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿