大楽院。川崎七福神の恵比須、准秩父三十四札所観音霊場、玉川八十八ヶ所霊場
大楽院の概要
真言宗豊山派寺院の大楽院は、日吉山神宮寺と号します。大楽院の創建年代は不詳ですが、古くに創建したと伝えられ上丸子日枝神社の別当を務めていたと伝えられます。延宝7年(1679)に中興したといいます。玉川八十八ヶ所霊場18番、准秩父三十四札所観音霊場11番で、川崎七福神の恵比須となっています。
山号 | 日吉山 |
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院号 | 大楽院 |
寺号 | 神宮寺 |
本尊 | 釈迦如来坐像 |
住所 | 川崎市中原区上丸子八幡町1522 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 境外佛堂閻魔堂 |
大楽院の縁起
大楽院の創建年代は不詳ですが、古くに創建したと伝えられ上丸子日枝神社の別当を務めていたと伝えられます。延宝7年(1679)に中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による大楽院の縁起
大楽院
小名青木前耕地にあり。真言宗新義大和国城上郡長谷寺の末。日吉山神宮寺と号す。開山の年月を傳へざれど、山王(上丸子日枝神社)の社傳に当寺を載たり。彼社傳の事からは疑わしきにもせよいづれ古くより成りたるものなれば、この寺の旧地なることも自らしるべし。中興開山延宝7年寂すとのみ傳へて其名をしらす。本堂9間半に6間半、本尊大日坐像長2尺5寸なるを置り。門西向門外に石をもて造れる地蔵及観音の二体を立つ。
観音堂。門を入て右にあり。4間四方北向正観音立像にて長1尺2・3寸許。
弁天社。
稲荷社。
不動堂。観音堂の傍にありていづれも僅なる造なり。
(中略)
閻魔堂
村の中央にありて村民の葬地なり。土人此堂を三昧場とも善性寺とも呼ぶ。されど僅に2間四方の庵にて寺と云ほどのことにはあらず。昔は一寺なしりにやいづれの頃建しと云ことも傳へず。 (新編武蔵風土記稿より)
大楽院所蔵の文化財
- 木造釈迦如来坐像
木造釈迦如来坐像
当院は、真言宗豊山派に属しています。
当院所蔵の木造・釈迦如来坐像は、寄木造、玉眼嵌入で、手を禅定院に結び、室町時代(十六世紀後半)の制作と考えられています。
釈迦如来坐像の胎内からは、武蔵国の世田谷と蒔田を領した吉良氏朝(1543-1603)の家臣名簿を記した墨書銘があり、室町時代後期の武将の信仰や吉良氏を研究するうえで、貴重な資料となっています。(川崎市教育委員会掲示より)
大楽院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿