長弘寺。鎌倉郡小菅ヶ谷村から当地に移転
長弘寺の概要
真宗大谷派寺院の長弘寺は、原仲山と号します。長弘寺の創建年代等は不詳ながら、寳心(天正年間1573-1592の僧)が開山、元和7年(1621)に鎌倉郡小菅ヶ谷村から当地に移転したといいます。長弘寺本堂は川崎市文化財に指定されています。
山号 | 原仲山 |
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院号 | - |
寺号 | 長弘寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 川崎市幸区南加瀬3-24-16 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長弘寺の縁起
長弘寺の創建年代等は不詳ながら、寳心(天正年間1573-1592の僧)が開山、元和7年(1621)に鎌倉郡小菅ヶ谷村から当地に移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による長弘寺の縁起
(南加瀬村)長弘寺
村の東原といへる所にあり、一向宗東本願寺末原中山と號す、開山を寳心と云、寂年詳ならざれど此人天正の頃の僧なりと傳ふれば、この以前の開基なるべし、客殿七間四方本尊彌陀の立像長二尺四五寸なるを安ぜり。(新編武蔵風土記稿より)
新編相模国風土記稿による長弘寺の縁起
新編相模国風土記稿には、長光寺ではなく長延寺が南加瀬に移転したと記載しています。(小菅ヶ谷村には菅谷山長光寺が現存しています。)
(小菅ヶ谷村)長延寺蹟
小名地蔵の前にあり、此寺元和中武州加瀬村に遷れり(按ずるに、武州橘樹郡南加瀬村に、轉壽山長延寺あり、浄土眞宗、西本願寺末、鎌倉より引しと傳ふ、)其蹟叢林となりしかば延寶四年検地ありて山高に入れり、(新編相模国風土記稿より)
長弘寺所蔵の文化財
- 長弘寺の建造物(川崎市重要歴史記念物)
長弘寺の建造物
当寺は浄土真宗に属し、江戸時代初め頃の元和7年(1621)、鎌倉郡小菅ヶ谷村から現在の地に移されました。
現在の本堂は、江戸時代後半の安永4年(1775)に、地元北加瀬村の大工・青山忠八によって建てられました。
本堂の特徴は、浄土真宗に特有な平面形式にあります。つまり、入口正面から見て、板の間→外陣→内陣→左右余間→仏壇と奥に進むにしたがって床を一段づつ高くしており、建物に奥行と上昇感を与えています。特に、浄土をあらわす内陣と門信徒の入る外陣の境は、あげ床と矢来間ではっきりと区別しているのも大きな特徴です。
また、天井や組物は部屋の格に合わせていろいろな変化をもたせているほか、内外陣と左右余間には格子欄間を多く用いるなど、全体に華やいだ空間を造りあげています。
内陣の仏壇は、中央に本尊の阿弥陀如来立像を安置する宮殿と、その左右に仏壇を備える古い形式の三ツ並仏壇で、全体的に前に出していることから、出仏壇といわれています。
川崎市教育委員会は、平成2年1月23日、本堂を川崎市重要歴史記念物に指定しました。(川崎市教育委員会掲示より)
長弘寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿