延命寺。東海三十三観音霊場、玉川八十八ヶ所霊場、東国八十八ヵ所霊場
延命寺の概要
真言宗智山派寺院の延命寺は、円明山宝蔵院と号します。延命寺の創建年代等は不詳ながら、江戸時代中期には既に創建していたといいます。東海三十三観音霊場15番、玉川八十八ヶ所霊場14番、東国八十八ヵ所霊場6番です。
山号 | 円明山 |
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院号 | 宝蔵院 |
寺号 | 延命寺 |
住所 | 川崎市幸区都町4-2 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
延命寺の縁起
延命寺の創建年代等は不詳ながら、江戸時代中期には既に創建していたといいます。
新編武蔵風土記稿による延命寺の縁起
(南河原村)寶蔵院
村の西にあり、新義真言宗にて荏原郡高畑村寶幢院末、延命山円明寺と号す。開山開基詳ならず。本尊地蔵坐像長一尺あり。客殿六間半に七間なり、南向。
寺寶
普賢画像一幅。
弘法大師筆一幅。
請雨曼荼羅一幅。栂尾妙惠の筆なり。寺僧の話に当村旱魃の時是を出し経を読誦して雨を乞へば、いかなる旱にも奇特あり。其時農民等頭に龍頭を戴き笛及び太鼓等の鳴物をまじへて、村内より川崎宿の渡船場にいたり。それより駅中を廻り小土呂町より村内へ帰ること例なりと云。(新編武蔵風土記稿より)
延命寺所蔵の文化財
- 南河原雨乞獅子頭三頭
南河原雨乞獅子頭三頭
延命寺の文化財
当寺は、真言宗智山派に属しています。
当寺所蔵の獅子頭三頭及び付属する用具、請雨経曼荼羅などは、現在の都町一帯を含む旧南河原村に伝承されていた雨乞獅子舞に使用されてきたものです。現在、獅子舞そのものは途絶えていますが、かつての様相は、嘉永五年(一八五二)に記録された「武州橘樹郡南河原村 延命山宝蔵院什物 請雨経曼荼羅幷雨乞獅子由来」(「雨乞獅子由来」)で知ることができます。
獅子頭は、風流系三匹獅子頭の一形式です。江戸時代中期頃の製作と推定でき、彫刻的にもすぐれています。
川崎市教育委員会は、南河原雨乞獅子頭三頭[付、「雨乞獅子由来」・請雨経曼荼羅・付属用具(大皿2・太鼓3・軍配2・幣束1)]を昭和五十八年十二月二十一日、川崎市重要郷土資料に指定しました。(川崎市教育委員会掲示より)
延命寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿