東町戎社。小田原市東町の神社

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東町戎社。大友皇子を祀る社

東町戎社の概要

東町戎社は、小田原市東町にある神社です。東町戎社は、壬申の乱で亡くなった大友皇子(弘文天皇)の随士だった小澤伊豫掾外三名が、兵庫県西宮神社境内に大友皇子を祭神とする戎社を勧請、神主として祀っていた子孫が当地に勧請したものと思われます。宝暦11年(1761)には小田原藩より社地の寄付を受けていましたが、明治維新に際し廃社となったそうです。

東町戎社
東町戎社の概要
社号 戎社
祭神 大友皇子
相殿 日の神、船玉神
境内社 -
祭日 -
住所 小田原市東町2-8
備考 -



東町戎社の由緒

東町戎社は、壬申の乱で亡くなった大友皇子(弘文天皇)の随士だった小澤伊豫掾外三名が、兵庫県西宮神社境内に大友皇子を祭神とする戎社を勧請、神主として祀っていた子孫が当地に勧請したものと思われます。宝暦11年(1761)には小田原藩より社地の寄付を受けていましたが、明治維新に際し廃社となったそうです。

新編相模国風土記稿による東町戎社の由緒

(山王原村)
戎社
社地は寶暦十一年領主より寄附す(其地網一色村に跨れり)、神體座像なり(長七寸)、日ノ神及船玉神を相殿とす(各名が五寸)、共に大友皇子の作と云、
△神職小澤數馬・竹内要人。攝州西宮神主、吉井陸奥守配下、寛保二年の免許状を蔵す。(新編相模国風土記稿より)

境内掲示による東町戎社の由緒

戎社
この戎社には大友皇子が奉ってある。大友皇子は天智天皇の第一皇子として生まれ、六七一年太政大臣となり弘文天皇と名を改め天皇の御位に付かれた。が天智天皇の死後天皇の弟の大海人皇子(後日の天武天皇なり)と、皇位継承をめぐる爭が起り、六七二年壬申の乱となる。その戦で破れ大友皇子は自害して果てた。その亡き皇子の霊を奉るべく皇子の随士であった小澤伊豫掾外三名は皇子の神像を彫刻せしに、憚る所あって鯛及飯等を添えて蛭子の像と称えて、摂津の國、西の宮の神官吉井陸奥守へ任して、西の宮の神宮へ勧請し、四名はその神主となりて世襲せしが、明治維新の革命に至り廃す。戎社の御神体は座像七寸。
日の神及び船玉神を相殿す。
寛保二年(一七四二)免許状もあり。宝暦十一年九月(一七六一)松林地六反三畝十歩。領主小田原侯、大久保大蔵大輔忠友御寄附とあり、その地は網一色村に跨れりと。今この地は浜元町四百二十二番地である。その前は網一色村の八幡神社境内にあり、今も八幡神社を戎の森と呼ぶ。(境内掲示より)


東町戎社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿