東町新田神社舊社。小田原市東町の神社

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東町新田神社舊社。新田左中将義貞公の首級を埋納したと伝わる地

東町新田神社舊社の概要

東町新田神社舊社は、小田原市東町にある神社です。東町新田神社舊社は、東町八幡神社境内に祀られている新田神社の舊地でで祀られている社です。新田神社は、足利尊氏に敗れた新田義貞の首級を、その家臣(船田入道とも宇都宮左近将監泰藤とも)が故郷の上州新田郡へ持ち帰ろうとしたものの果たせず、網一色村に埋納し祀ったものと伝えられ、近くに鎮座していたもので、当社境内へ遷座されています。

東町新田神社舊社
東町新田神社舊社の概要
社号 新田神社
祭神 新田左中将義貞公
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 小田原市東町4-4
備考 -



東町新田神社舊社の由緒

東町新田神社舊社は、東町八幡神社境内に祀られている新田神社の舊地でで祀られている社です。新田神社は、足利尊氏に敗れた新田義貞の首級を、その家臣(船田入道とも宇都宮左近将監泰藤とも)が故郷の上州新田郡へ持ち帰ろうとしたものの果たせず、網一色村に埋納し祀ったものと伝えられ、近くに鎮座していたもので、当社境内へ遷座されています。

新編相模国風土記稿による東町新田神社舊社の由緒

(網一色村)
新田社
本地佛地蔵、社傳に延元二年新田左中将義貞、越前にて打死の後、其臣船田入道、義貞の首級を捧持し、東國に下向して爰に葬る、入道は名を久保明翁と改め、則此地に隠棲すとなり、故に今も立願する者は、久保明翁の子孫なる由告すれば願望成就すと云【太平記】を按ずるに、延元二年七月二日、義貞越前足羽にて討死の時、自ら首をかき深泥の中に蔵せしを、越中國の住人、氏家中務丞重國、首を取て足利尾張守高經の實檢に入れ、夫より京都へ上せ、獄門に懸らるとあり、且船田入道は義貞討死より前、建武二年正月京師の戰に討死せし人なり、然れば社傳信じがたし、又三州妙國寺傳を閲するに、義貞討死の後、宇都宮左近将監泰藤、其首級を奉じ、義貞の本國上州へと志し關東に下りしに、小田原驛に著し時、泰藤偶疾に臥す、依て其首級を瓶に収め、酒匂川の邊に埋む、後に新田明神と崇むとあり(三州碧海郡上和田村、法華宗本壽山妙國寺、元禄八年の記曰、泰藤は新田義貞に屬し、義貞越前にて討死の時、泰藤御首を持て濃州に下り、夫より本領三州和田に往、妻子に暇を告、上州新田公の本國へと志し旅行の所、相州小田原の陣にて、異例常ならざれば、其御首を瓶に納、酒匂川の邊へ埋ける、則新田大明神と崇ける、泰藤の子孫に至て、此地を領すること、偏に新田大明神、當家の守護神と成給ふものならん歟、按ずるに、前に記せる如く、義貞の首を梟せしとあれど、戰爭の間其實は知るべからず、)(新編相模国風土記稿より)


東町新田神社舊社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿