飯泉八幡神社。江戸時代前期に勧請
飯泉八幡神社の概要
飯泉八幡神社は、小田原市飯泉にある神社です。飯泉八幡神社は、飯泉の住民が、宗我都比古神社主に請願し元和9年(1623)に勧請、村の鎮守として祀られてきたといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社 |
祭日 | 10月1日 |
住所 | 小田原市飯泉1164 |
備考 | 旧村社 |
飯泉八幡神社の由緒
飯泉八幡神社は、飯泉の住民が、宗我都比古神社主に請願し元和9年(1623)に勧請、村の鎮守として祀られてきたといいます。
境内掲示による飯泉八幡神社の由緒
古来、茲飯泉は、鎌倉街道・大山街道・足柄山道・箱根山道等々が交錯し、殊に鞠川(現在の酒匂川)の渡し場、隣接の坂東観音五番札所の宿場と共に交通の要衝であったが、同時に、洪水・地震・噴火に悩まされた住民は相謀り、永年の願望だった茲飯泉村に鎮守神を奉斎すべく、時の宗我播磨介広之(宗我都比古神社社主)に請願し、鎌倉八幡宮のご分霊を奉遷したのである。
其の後逐次近郊の末社を整理集合して、郷社として天下泰平・五穀豊穣・安産・永世平和の守護神として尊崇され祀られてきた。(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による飯泉八幡神社の由緒
(飯泉村)
八幡社
鎮守なり、例祭九月十五日、本地佛彌陀、勝地院持、社地に古松樹あり、神木と云(圍み一丈三寸、)
△末社。稲荷、山神、天王(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による飯泉八幡神社の由緒
元和九癸亥年(一六二三)春飯泉村鎮守として氏神を奉斎すべく村民相謀り宗我都比古神社主宗我播磨介広之に請いて鎌倉八幡宮の分霊を奉遷しと記録にあり、当郷の鎮守とした。天下泰平五穀成就産子安全永世鎮護之攸として尊崇せられ現在に至っている。(「神奈川県神社誌」より)
飯泉八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿