今井権現神社。小田原市寿町の神社

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今井権現神社。小田原市寿町の神社

今井権現神社の概要

今井権現神社は、小田原市寿町にある神社です。今井権現神社の創建年代等は不詳ながら、豊臣秀吉の小田原北条攻めに際して、柳川和泉守泰久の宅地となっていた当地に徳川家康が陣を張ったことから、元和3年(1617)柳川和泉守泰久の子息で当地に土着した忠兵衛が、東照宮を創建したといいます。東照宮建立の事は、徳川家忠の耳に入り、小田原藩に命じて社殿を造営、社地を含め20石余が除地とされと記録されています。

今井権現神社
今井権現神社の概要
社号 権現神社
祭神 徳川家康公
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 小田原市寿町4-14-15
備考 -



今井権現神社の由緒

今井権現神社の創建年代等は不詳ながら、豊臣秀吉の小田原北条攻めに際して、柳川和泉守泰久の宅地となっていた当地に徳川家康が陣を張ったことから、元和3年(1617)柳川和泉守泰久の子息で当地に土着した忠兵衛が、東照宮を創建したといいます。東照宮建立の事は、徳川家忠の耳に入り、小田原藩に命じて社殿を造営、社地を含め20石余が除地とされと記録されています。

新編相模国風土記稿による今井権現神社の由緒

(今井村)
東照宮御宮
御陣場蹟の構内西方に在、御躰は、幣束及尊影(御甲冑卯を著し給ふ、)を安置し奉れり、是は元和三年、和泉守泰久の子。忠兵衛と云者、御舊蹟たるをもて、御宮を造立し奉ると云、其頃松平右衛門大夫正綱・伊丹播磨守康勝、参拝し御宮造立の由緒を尋問せしに、忠兵衛巨細に言上せしかば、聽て、台徳院殿の高聽に達し、
(市郎左衛門家蔵、寛永中正綱が寺社奉行安藤右京進重長、松平出雲守勝孝への書翰に、先年小田原御陣の刻、權幻様御陣場の御屋鋪、今井と申候所に、忠兵衛と申百姓、御祠を建て守護いたし罷在候、其子、台徳院殿様御耳、奇特成事をいたし候と被仰出、其場所高二十石餘拝領申候と見ゆ、)
同八年、領主安部備中守正次へ、御宮御造營の事を命ぜられ、御本社(三尺に二尺五寸、)覆殿(二間に一間半、)御拝殿(三間に二間、)等落成す、此時、御宮地(方十二間)大門(長二十間、幅二間、)の間數をも定らる、其後元禄十六年、地震の時、御宮破損せしかば、市郎左衛門の家にて、假に御本社(三尺に二尺五寸、)覆殿(二間に三間、拝殿は造込なり、)を造立し、今に至る、稲葉丹後守正道、領主たりし頃、御太刀馬代を献備して参拝あり、(今に折紙及作り太刀を一郎左衛門家蔵す、)葵御紋の挑灯四張を御神前に掲、御祭禮四月十七日、(神酒赤飯等を供し、参詣の輩に賜はらしむ)及正月・九月の十七日(神酒等を供す、)又毎月十七日村内妙經寺の僧を請し部經を轉讀せしむ、(新編相模国風土記稿より)


今井権現神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿