東海道風祭の一里塚|東海道21番目の一里塚
東海道風祭の一里塚の概要
東海道風祭の一里塚は、小田原市にある名所旧跡です。東海道風祭の一里塚は、江戸幕府が整備した東海道の里標で、日本橋から21番目の一里塚です。街道の両側に塚が築造されていましたが、現在は小さな塚状の地が残され、脇に道祖神が祀られています。
名称 | 東海道風祭の一里塚 |
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区分 | 史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 小田原市風祭 |
備考 | - |
東海道風祭の一里塚の由緒
東海道風祭の一里塚は、江戸幕府が整備した東海道の里標で、日本橋から21番目の一里塚です。街道の両側に塚が築造されていましたが、現在は小さな塚状の地が残され、脇に道祖神が祀られています。
境内掲示による東海道風祭の一里塚について
東海道風祭の一里塚
ここは、旧東海道に設置された江戸から21番目の一里塚があった場所である。
慶長9年(1604)江戸幕府将軍徳川家康は、息子秀忠に命じて、東海道、東山道、北陸道に、江戸日本橋を起点として一里(36町・約4キロ)ごとに塚を造らせた。塚は男塚、女塚と、街道の左右に対で置かれ、広さは通常5間(約9メートル)四方であった。塚には榎を植え、旅人の1里ごとの目印とするとともに、夏季における木陰の休憩場所とした。
風祭の一里塚については、天保四年の相模国風土記稿に「東海道側に双堠あり、高各一丈、塚上の榎樹あり、囲各八九尺、東方小田原宿、西方湯本茶屋の里堠に続けり」とある。(境内掲示より)
東海道風祭の一里塚の周辺図