根府川関所跡|熱海や伊豆へ通じる根府川道の関所跡
根府川関所跡の概要
根府川関所跡は、小田原市にある名所旧跡です。根府川関所跡は、熱海や伊豆へ通じる根府川道の関門として、元和元年(1615)頃に設置された関所の跡です。江戸時代を通じて小田原藩が支配、明治維新により明治2年(1869)に廃止されるまで関所となっていたといいます。かつては礎石などもあったものの、関東大震災により埋没、また川形も変化したことから、関所跡地は現在川底になっているそうです。
名称 | 根府川関所跡 |
---|---|
区分 | 史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 小田原市根府川 |
備考 | - |
根府川関所跡の由緒
根府川関所跡は、熱海や伊豆へ通じる根府川道の関門として、元和元年(1615)頃に設置された関所の跡です。江戸時代を通じて小田原藩が支配、明治維新により明治2年(1869)に廃止されるまで関所となっていたといいます。かつては礎石などもあったものの、関東大震災により埋没、また川形も変化したことから、関所跡地は現在川底になっているそうです。
境内掲示による根府川関所跡について
東海道の脇街道であり、熱海や伊豆へ通じる根府川道の関門として、この地に根府川関所は設置されました。
新編相模国風土記稿などによると、江戸時代初期の元和元年(1615)頃に設けられたとされており、以後、明治維新のため明治2年(1869)に廃止されるまでの約250年間に渡り、明六つ(午前6時頃)の開門から暮六つ(午後6時頃)の閉門まで、破れば磔により罰せられることもある厳しい掟により通行が取り締まられていました。
箱根関所のほか、小田原藩内には、仙石原、矢倉沢、川村、谷ケにも関所が設けられましたが、根府川関所は常駐する役人の数が箱根に次ぐ多さで、要衝として重要視されていたことがうかがえます。
根府川関所は白糸川の南側にありました。関東大震災前までは礎石もあり、当時の様子がうかがえたそうですが、震災により埋没し、その後の新幹線の工事等により川の形も変化してしまい、関所跡は、現在、川底となっています。(小田原市観光課掲示より)
新編相模国風土記稿による大山道について
(根府川村)
根府川御關所
熱海道にあり、西方は山に據て設け、東方は海濱に至るまで、柵木を設て結界をなせり、小田原より道程二里、世々小田原領主の預る所にて、番士を置、警衛の固とす、建置の初は、元和元年御代官中川勘助支配せし頃と云、(新編相模国風土記稿より)
根府川関所跡の周辺図