千葉山蓮華寺。中老僧越後阿闍梨日弁開山
蓮華寺の概要
日蓮宗寺院の蓮華寺は、千葉山と号します。蓮華寺は、東大友にあった天台宗蓮華院を日蓮聖人が日蓮宗に文永11年(1274)に改宗、中老僧越後阿闍梨日弁が千葉山蓮華寺と改号して開山したといいます。その後当地にあった武家屋敷の寄進を受け文禄年間(1592-1596)に当地へ移転しています。慶長14年には(小田原藩主よりの)黒印、慶安2年(1649)には江戸幕府より9石3斗の御朱印状を受領、小田原地方における日蓮宗(法華宗)寺院の触頭を勤めていました。
山号 | 千葉山 |
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院号 | - |
寺号 | 蓮華寺 |
本尊 | 一塔両尊四士 |
住所 | 小田原市千代815-1 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
蓮華寺の縁起
蓮華寺は、東大友にあった天台宗蓮華院を日蓮聖人が日蓮宗に文永11年(1274)に改宗、中老僧越後阿闍梨日弁が千葉山蓮華寺と改号して開山したといいます。その後当地にあった武家屋敷の寄進を受け文禄年間(1592-1596)に当地へ移転しています。慶長14年には(小田原藩主よりの)黒印、慶安2年(1649)には江戸幕府より9石3斗の御朱印状を受領、小田原地方における日蓮宗(法華宗)寺院の触頭を勤めていました。
「日蓮宗寺院大鑑」による蓮華寺の縁起
開山中老僧越後阿闍梨日弁。池上・感応寺法縁。東大友に天台宗蓮華院があり、文永11年に宗祖が身延に入山のとき改宗。日弁を初祖とし千葉山蓮華寺と改称。現在地の千代に武家屋敷あり寺に寄進、文禄年間に移転した。文禄2年に20世日述が酒匂川上字大口土手普請成就の祈禱を仰せ付られ、慶長年間には大久保相模守より酒匂川新川普請祈禱を拝命した。慶長14年に黒印、徳川3代将軍家光公より御朱印、城主より1万石の格式を与えられた。中山法華経寺末で上席25等の内に入り小田原地方18か寺の触頭役寺となる。当山所有地は1町歩あったが農地改革により現在境内地480坪のほか5反余がある。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
新編相模国風土記稿による蓮華寺の縁起
(千代村)
蓮華寺
千葉山(按ずるに、當村古千葉郷と唱へし遺名なり、)と號す、法華宗、(下總國中山法華經寺末、)文永十一年中老日辨、(慶長元年六月二十六日卒、※応長元年の誤り)起立す、本尊釋迦多寶、其餘宗法の諸尊を置、慶安二年寺領九石三斗餘の御朱印を賜ふ、(其地は村内に在、)
△番神堂
△鐘樓 鐘は元禄元年の鑄造なり、(此鐘板橋村妙福寺の物なりしを、元禄十年買得して當寺に掛く、序銘は舊に仍て改めず、)(新編相模国風土記稿より)
蓮華寺の周辺図
参考資料
- 「日蓮宗寺院大鑑」
- 新編相模国風土記稿