安國寺。台町の旧家渡邊利右衛門重政が中興
安國寺の概要
日蓮宗寺院の安國寺は、立正山と号します。安國寺は、日蓮上人より大野光秀入道に授与された鬼子母神画像・立正安國論をもとに、九老僧日行が安国寺と称して開山したといいます。その後台町の旧家渡邊利右衛門重政が中興開基となり、永禄3年(1560)立行院日運上人が享保年間(1716-1736)に再建、開基したといいます。
山号 | 立正山 |
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院号 | - |
寺号 | 安國寺 |
本尊 | 曼荼羅 |
住所 | 小田原市浜町1-5-21 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
安國寺の縁起
安國寺は、日蓮上人より大野光秀入道に授与された鬼子母神画像・立正安國論をもとに、九老僧日行が安国寺と称して開山したといいます。その後台町の旧家渡邊利右衛門重政が中興開基となり、永禄3年(1560)立行院日運上人が享保年間(1716-1736)に再建、開基したといいます。
新編相模国風土記稿による安國寺の縁起
(一町田町)
安國寺
日蓮宗(身延久遠寺末)立正山と號す、(古は一町田山立正安國寺と號す)寺傳に開山日合、日蓮より鬼子母神の畫像、及立正安國論を授與ありしかば、爰に庵を結びて安置せり、それより遥の後日運の時、永禄三年一寺となす、故に是を中興と稱せりと云、(按ずるに臺町舊家利右衛門の家傳に、祖渡邊利右衛門重政、當寺を中興せし事あり、重政は永禄五年三月八日卒、當寺に葬る、法名玄覧陰紫雲日嚴、)本尊三寶諸尊、今に「日蓮授與の鬼子母神畫像一幅(中古災に罹りし時、自ら火中を出て災を免れしと云)を寺寶とす、
△鬼子母神社。日蓮作の立像を安ず、(長五寸)(新編相模国風土記稿より)
「日蓮宗寺院大鑑」による安國寺の縁起
開山九老僧日行、開基立行院日運。宗祖開眼鬼形鬼子母神の画像・木造の両尊像を安置する。文応元年、宗祖は松葉谷草庵で立正安国論を著し、前執権最明寺時頼に上奏。相模国の大野光秀入道が帰依し、立正安国論1巻、鬼子母神画像・木像1躰を授与された。その弟子日行が車谷に一宇建立、安国寺と公称。建武以来の幾多の戦に焼尽。享保年間に立行院日運が再建、開基となる。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
安國寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「日蓮宗寺院大鑑」