本応寺。羽原新右衛門忠次夫婦開基
本応寺の概要
法華宗陣門流寺院の本応寺は、法雨山と号します。本応寺は、稲葉美濃守正則の家臣だった羽原新右衛門忠次夫婦(忠次の法名法雨院道樹日行、妻の法名本成院妙感日壽)が開基となり、是真院日雄(寛文11年卒)が法雨山本乗寺と号して開山、本寺本成寺と読みが同じことから本応寺と改号したといいます。
山号 | 法雨山 |
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院号 | - |
寺号 | 本応寺 |
本尊 | 三寳諸佛 |
住所 | 小田原市板橋756 |
宗派 | 法華宗陣門流 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本応寺の縁起
本応寺は、稲葉美濃守正則の家臣だった羽原新右衛門忠次夫婦(忠次の法名法雨院道樹日行、妻の法名本成院妙感日壽)が開基となり、是真院日雄(寛文11年卒)が法雨山本乗寺と号して開山、本寺本成寺と読みが同じことから本応寺と改号したといいます。
新編相模国風土記稿による本応寺の縁起
(板橋宿)本応寺
法雨山と號す、同宗(法華宗)、越後国三條本成寺末、寛永十三年建、其頃は本乗寺と稱せしが、本寺と國読相似ければとて、宝暦十一年今の寺號に改む。開山日雄、是真院と號す、寛文十一年七月廿七日卒。開基羽原新右衛門忠次夫婦なり、忠次法名法雨院道樹日行、明暦元年五月十八日死す、稲葉美濃守正則の臣なり、其妻法名本成院妙感日壽、寛文五年十二月三日死、嘗て正則の乳母たりしを以て、一寺建立のことを許可せしと云。
本尊三寳諸佛を安ず。
番神堂。寛保三年回録し、未再建ならず。(新編相模国風土記稿より)
本応寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿