宗福院地蔵堂。慶長3年創建
宗福院地蔵堂の概要
曹洞宗寺院の宗福院は、金龍山と号し、地蔵堂で有名です。宗福院は、香林寺9世文察和尚が、身丈一丈(約330センチ)の大坐像を造り、箱根湯本の宿古堂に祭られていた弘法大師彫造の御真体を胎内に安置して地蔵堂を建立、理吟文察が開山となり、金龍山宗福院と号して慶長3年(1598)創建したといいます。
山号 | 金龍山 |
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院号 | 宗福院 |
寺号 | - |
本尊 | 延命子育地蔵菩薩像 |
住所 | 小田原市板橋566 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 地蔵堂 |
宗福院地蔵堂の縁起
宗福院は、香林寺9世文察和尚が、身丈一丈(約330センチ)の大坐像を造り、箱根湯本の宿古堂に祭られていた弘法大師彫造の御真体を胎内に安置して地蔵堂を建立、理吟文察が開山となり、金龍山宗福院と号して慶長3年(1598)創建したといいます。
新編相模国風土記稿による宗福院地蔵堂の縁起
(板橋宿)宗福院
金龍山と號す、香林寺末。本尊弥陀。慶長三年地蔵堂地に就て創建す。開山理吟文察(本寺九世、慶長七年七月二日卒)
地蔵堂
木の座像を置(長一丈、弘法大師作と云)、昔は湯本の内字古堂にあり(湯本茶屋の属)、永禄十二年ここに引移せしと云、毎年正月七月廿三四の両日を縁日とし、道俗群参す、此日堂前に互市をなし、時物を交易す。
十王堂。(新編相模国風土記稿より)
境内掲示による宗福院地蔵堂の縁起
地蔵堂略誌
當地蔵堂は金龍山崇福院と称し、本寺板橋香林寺が主管す。
本尊は弘法大師御作の延命子育地蔵菩薩にして、往古箱根湯本に祀りしを永禄十二年(一五六九)現在地に遷座し、八尺の大坐像の胎中に奉安す。別伝に「板橋・矢倉沢竹の下の地蔵堂には一木三体の地蔵を祀る」と伝う。(境内掲示より)
宗福院地蔵堂所蔵の文化財
- 宗福院地蔵堂(神奈川県指定重要文化財)
宗福院地蔵堂
板橋の地蔵尊
この地蔵尊は「板橋のお地蔵さま」と呼ばれ、古くからこの地方に名高く知られわたっている。
永禄12年(1569)、香林寺九世の文察和尚は、身丈一丈(約330センチ)の大坐像を造り、箱根湯本の宿古堂に祭られていた弘法大師彫造の御真体を胎内に安置したといわれている。
毎年1月と8月の23日・24日の両日が縁日で、当日は境内及び参道に市が立ち参拝者で賑わう。この地方では、新ホトケが出た時、その家族及び縁者が3年間つづけてこの地蔵尊へ参詣する習俗があり、この日に参詣すると故人に似たひとに必ず合えるといわれている。
この境内には、寛政7年(1795)に建てた一刀流6代目の横田常右衛門豊房と7代名坂四郎治政宣の供養碑が立っている。また明治戊辰の役の後に、合戦の犠牲者となった官軍の軍監中井範五郎らあわせて13名の姓名を刻んだ慰霊碑もある。(境内掲示より)
宗福院地蔵堂の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿