興徳寺。小田原市板橋にある曹洞宗寺院

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興徳寺。北條氏康及びその内室が中興開基

興徳寺の概要

曹洞宗寺院の興徳寺は、大雲山と号します。興徳寺の創建年代は不詳ですが、当初大雲軒と号して小田原府内字八段畑に創建、北條氏康(大聖院殿前京兆東陽岱公大居士)及びその内室(瑞渓院殿光室宗照大姉)が中興開基となり、大永五年谷津へ移転、且悦叟宗忻を開山、大雲山興徳寺と改めたといいます。

興徳寺
興徳寺の概要
山号 大雲山
院号 -
寺号 興徳寺
本尊 釈迦牟尼佛像
住所 小田原市板橋831
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



興徳寺の縁起

興徳寺の創建年代は不詳ですが、当初大雲軒と号して小田原府内字八段畑に創建、北條氏康(大聖院殿前京兆東陽岱公大居士)及びその内室(瑞渓院殿光室宗照大姉)が中興開基となり、大永五年谷津へ移転、且悦叟宗忻を開山、大雲山興徳寺と改めたといいます。

新編相模国風土記稿による興徳寺の縁起

(板橋宿)興徳寺
大雲山と號す、同宗(曹洞宗)、足柄上郡栢山村善栄寺末、古は大雲軒と號し(此頃の開山開基詳ならず)、小田原府内字八段畑にあり(今侍屋敷となれり)、大永五年、北條氏康(今其碑を置、曰、大聖院殿前京兆東陽岱公大居士、元亀元年十一月廿一日)、及其内室(碑面刻して曰、瑞渓院殿光室宗照大姉、元亀二年十月三日、按ずるに善栄寺にても、此人を中興開基となせり)、中興開基となり、小田原谷津村の邊に(今侍屋敷となり、新蔵屋敷と稱す)移し、今の山寺號を銘す。且悦叟宗忻を延て、開山第一祖となせり(天正三年六月十七日卒、即本寺の開山なり、按ずるに、宗忻天文廿年八月、紫衣を給許あり、明年十一月、透源大通禅師の號を賜ふ、其両邊の綸旨、今本寺に蔵すれど、并に當寺在住中の事なり、紫衣の綸旨曰、大雲山興徳禅寺宗忻上人、着紫衣、紹列佛法、可被致天下安泰御祈祷、者天気如此仍執遂如件、天文廿年八月十五日、永平寺住持悦叟和尚、右大辯華押、禅師號の綸旨曰、赦大雲漠々族慈雲、興徳洪々超先徳、宗忻和尚者、汲永平末流、酒甘露於八州、紹大雄後胤、振道風於一国、禅徒為之輻輳、檀信尊之帰祟、憑遥仰重禁固、遠拝望紫泥賜透源大通禅師、天文廿一年壬子暦十一月十五日)、承応三年稲葉氏領主たりし時、此地に移す、本尊釈迦。
白山社(新編相模国風土記稿より)


興徳寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿