量覚院。小田原市板橋にある本山修験宗寺院

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

量覚院。遠江秋葉神社の秋葉大権現を奉遷

量覚院の概要

本山修験宗寺院の量覚院は、大徳山秋葉寺と号します。量覚院は、大徳泰澄大師が養老元年(717)遠州秋葉山上に秋葉大権現を防火の神として祀り創建、徳川家康が関東入国した天正18年(1590)に旧領国の遠江から本尊秋葉大権現を奉遷させ、関東東山伏の目付役を命じられていたといいます。

量覚院
量覚院の概要
山号 大徳山
院号 量覚院
寺号 秋葉寺
本尊 秋葉大権現
住所 小田原市板橋544
宗派 本山修験宗
葬儀・墓地 -
備考 クレヨンの森保育園



量覚院の縁起

量覚院は、大徳泰澄大師が養老元年(717)遠州秋葉山上に秋葉大権現を防火の神として祀り創建、徳川家康が関東入国した天正18年(1590)に旧領国の遠江から本尊秋葉大権現を奉遷させ、関東東山伏の目付役を命じられていたといいます。

境内掲示による量覚院の縁起

秋葉山量覚院は本山修験宗の末寺(総本山は京都聖護院)で修験道(山伏)の寺院であります。本尊秋葉大権現は養老元年(七一七年)泰澄大師の開創で遠州秋葉山上に防火の神として祀られました。
天正一八年(一五九〇年)には徳川家康が小田原城主大久保忠世に管理を命じ一月坊法印によって秋葉山上より御本尊を小田原に奉遷され、以来関東東山伏の目付役としての役割を任ぜられます。
毎年十二月六日に厳修される火祭では各地から山伏が参加し火渡りの荒行等が行われ火難消滅や無病息災を祈願致します。秋葉山四十八世 山主山本俱徳(境内掲示より)

「全国寺院名鑑」による量覚院の縁起

養老元年の開創。越の大徳泰澄大師の開基。弘仁年間弘法大師が登山参駕籠し大同年間越後栃尾蔵王党の山伏三尺坊法印が火生三昧に入った名刹。元王、聖武、平城各帝の勅願所として隆盛をきわめ、のち足利尊氏、上杉氏、武田氏、豊臣秀吉、徳川氏等各武将の信望をえた。天正一八年小田原北条滅亡ののち、徳川家康の命で秋葉山秋葉寺を小田原の地に移建し、関東山伏の目付役となる。昭和三七年修験宗本庁を京都より移し現在に至る。(「全国寺院名鑑」より)

新編相模国風土記稿による量覚院の縁起

(板橋宿)
秋葉社
本地正観音をも安ず、縁起に大久保氏代々遠州秋葉山三尺坊権現を信じ、小田原城主となりし後、慶長元年當所に勧請ありしと云。例祭十一月十六日、社地老松樹あり、囲一丈五尺。
別当量覚院
大徳山秋葉寺と號す、本山修験(小田原玉龍坊霞下)。開山一月坊竺禅、慶長三年八月十五日卒。本尊不動。(新編相模国風土記稿より)


量覚院の周辺図


参考資料

  • 「全国寺院名鑑」
  • 新編相模国風土記稿