御塔生福寺。小田原市板橋にある日蓮宗寺院

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御塔生福寺。九老僧朗慶が建立した御塔妙福寺と蓮生寺が合併

御塔生福寺の概要

日蓮宗寺院の御塔生福寺は、象鼻山と号します。御塔生福寺は、日蓮聖人が文永6年(1269)甲州遊化の帰路、象鼻に似た巨石の上に立ち、両親の菩提を弔うために宝塔を建立、その地に九老僧朗慶が元享2年(1322)御塔妙福寺と号して甲州に創建、明治45年当地にあった蓮生寺を合寺し、御塔生福寺と改称したといいます。

御塔生福寺
御塔生福寺の概要
山号 象鼻山
院号 -
寺号 御塔生福寺
本尊 -
住所 小田原市板橋771
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



御塔生福寺の縁起

御塔生福寺は、日蓮聖人が文永6年(1269)甲州遊化の帰路、象鼻に似た巨石の上に立ち、両親の菩提を弔うために宝塔を建立、その地に九老僧朗慶が元享2年(1322)御塔妙福寺と号して甲州に創建、明治45年当地にあった蓮生寺を合寺し、御塔生福寺と改称したといいます。

「日蓮宗寺院大鑑」による御塔生福寺の縁起

文永6(1269)年、宗祖が甲州遊化の帰路、象鼻に似た巨石の上に立って房州の地を望み宝塔を建て、両親の菩提を弔った。里人は「お塔のふた親さん」と呼んで尊崇。その地に元享2(1322)年4月、九老僧朗慶が一宇を建てて御塔妙福寺と称した。
2世日法は3年在住し、聖像を彫刻し安置、今にこれを伝えている。48世本時院日儀の代、明治45年4月、富士山363番地より大窪村蓮生寺(現在地・開山蓮生院日周・平賀本土寺末)を合併移転し、御塔御塔生福寺と改称。(「日蓮宗寺院大鑑」より)

新編相模国風土記稿による御塔生福寺の縁起

(板橋宿)蓮生寺
浄水山と號す、同宗(法華宗)、下総國平賀本土寺末、慶安二年起。開山日周、蓮生院と號す、慶安元年二月廿九日卒と云、按ずるに草創以前の示寂なり、盡請待開山にや。
本尊三寳諸尊を安ず。(新編相模国風土記稿より)


御塔生福寺の周辺図


参考資料

  • 「日蓮宗寺院大鑑」
  • 新編相模国風土記稿