竺土寺。了庵慧明禅師が大雄山最乗寺開山前に当寺を開山
竺土寺の概要
曹洞宗寺院の竺土寺は、大仙山と号します。竺土寺は、小田原北条氏の家臣黒岩城主本多豊前守信親(法名瑞雲院龍珠宗洞)が開基となり、功雲寺5世仁忠継儀和尚を招請して、明応元年(1492)に開山したといいます。当寺21世大井龍跳和尚は当地の教育向上を図るため明治43年自修学校を設立、湘北中学校・湘北高等学校へ発展、(伊勢原市)向上高等学校の前身となっています。東国花の寺百ヶ寺の「梅」です。
山号 | 大仙山 |
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院号 | - |
寺号 | 竺土寺 |
本尊 | 十一面観世音菩薩像 |
住所 | 小田原市上曽我1422 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
竺土寺の縁起
竺土寺は、後に大雄山最乗寺を開山する了庵慧明禅師が元中8年(1391)に開山したといいます。了庵慧明禅師が当寺住持を勤めていた時、虫干していた袈裟を鷲が持ち去られてしまった地が「袈裟掛けの松」の地で、その地に大雄山最乗寺を建立したと伝えられています。
「川東仏教会寺院名鑑」による竺土寺の縁起
大仙山竺土寺と号す本尊仏は十一面観世音菩薩をまつり、元中8年に了庵慧明禅師により(大雄山最乗寺と開山同じ)開かれた寺である。御開山さまが法要を終え袈裟を虫干していたら鷲に西の空に持ち去られてしまい、探したところ現在の二十二丁目の茶屋の下松の木(袈裟掛けの松)掛かっていたので松の木の下で座禅を組み経を唱えると袈裟が舞い落ちてきた。御開山さまは、ここに寺を建てなさいとの知らせであると建立されたのが現在の大雄山最乗寺であると言い伝えられている。現在竺土寺にその袈裟が保存してある。(「川東仏教会寺院名鑑」より)
新編相模国風土記稿による竺土寺の縁起
(上曾我村)
竺土寺
大仙山と號す、曹洞宗、(關本村最乘寺末、)初は竺土庵と號し、明應二年了庵の起立にて、其師通幻(明應二年五月五日卒す、)を嗣法の開山とす、了庵駐錫の間靈告を得、應永元年關本に至て、最乘寺を開くと云、(事は彼寺の條に詳なり、)本尊十一面觀音、(長一尺八寸惠心作、)本堂の軒に正徳三年鑄造の鐘を掛、
△薬師堂 本尊行基作(長二尺七寸五分、)村内別に堂地あり、境内に移せし縁故詳ならず、
△保安權現社 祭神は最乘寺に祀れる道了と同躰なり、辨天・庚申の二像を脇侍とす、
△白山稲荷天神合社(新編相模国風土記稿より)
竺土寺所蔵の文化財
- 竺土寺と石造物群
竺土寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「川東仏教会寺院名鑑」