瑞雲寺。小田原市上曽我にある曹洞宗寺院

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

瑞雲寺。東国花の寺百ヶ寺、黒岩城主本多豊前守信親開基

瑞雲寺の概要

曹洞宗寺院の瑞雲寺は、龍珠山と号します。瑞雲寺は、小田原北条氏の家臣黒岩城主本多豊前守信親(法名瑞雲院龍珠宗洞)が開基となり、功雲寺5世仁忠継儀和尚を招請して、明応元年(1492)に開山したといいます。当寺21世大井龍跳和尚は当地の教育向上を図るため明治43年自修学校を設立、湘北中学校・湘北高等学校へ発展、(伊勢原市)向上高等学校の前身となっています。東国花の寺百ヶ寺の「梅」です。

瑞雲寺
瑞雲寺の概要
山号 龍珠山
院号 -
寺号 瑞雲寺
本尊 十一面観音像
住所 小田原市上曽我902
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



瑞雲寺の縁起

瑞雲寺は、小田原北条氏の家臣黒岩城主本多豊前守信親(法名瑞雲院龍珠宗洞)が開基となり、功雲寺5世仁忠継儀和尚を招請して、明応元年(1492)に開山したといいます。当寺21世大井龍跳和尚は当地の教育向上を図るため明治43年自修学校を設立、湘北中学校・湘北高等学校へ発展、(伊勢原市)向上高等学校の前身となっています。

境内掲示による瑞雲寺の縁起

瑞雲寺
曽我梅林の中にある寺として知られるこの寺は、龍珠山瑞雲寺と号し、曹洞宗で津久井の大井山功雲寺の末寺であり、相州黒岩城主本多豊前守が、日頃帰依していた功雲寺の5世仁忠継儀和尚を招請して、明応元年(1492)に建立した名刹である。
創建当初は、現在地より東方200メートルの丘上に建立されたと伝えるが、江戸時代の後期に現在地に移されたと言う。
寺には、18世観源大器和尚の「へえずり石」や、縁結びと子宝を授かると伝える「洗心池とめん玉弁天」があり、また曽我兄弟が父の仇を討つために願文を納めて、「十人力」を授けられたという「力不動尊」が安置されている。
この不動尊は大山不動尊の前不動で、曽我剣沢の地にあったものを江戸時代後期に当寺内に移されたものである。
なお寺内入口左側の梅林は、21世住職によって創設された当時足柄平野唯一の私学「自修学校校舎」の跡地である。
同校は明治43年7月に開設され、大正15年8月、校舎拡張のため東方丘陵に移転。のち湘北中学校、湘北高校、向上高校と校名を変更した。(境内掲示より)

新編相模国風土記稿による瑞雲寺の縁起

(上曾我村)
瑞雲寺
龍珠山と號す、曹洞宗、(津久井縣根小屋村功雲寺末、)明應元年の起立、開山仁忠、(永正十五年三月廿八日寂す、)開基本多豊前守信親、
(法名瑞雲院龍珠宗洞、天正十五年四月二日卒す、其曾孫八右衛門惣左衛門と云、兄弟村内に在しが、慶安三年八右衛門は江戸に召れて、御書院番大久保右京亮が與力となれり、子孫今八三郎と稱す、惣左衛門は猶土着して村民となる、今覺左衛門と云へるもの、其子孫なりと云、)本尊十一面觀音を安ず、本堂の軒に大鐘を掛、元禄十四年の銘あり、
△稲荷社
△白山神(新編相模国風土記稿より)


瑞雲寺所蔵の文化財

  • 瑞雲寺と石仏群
  • 自修学校発祥の地

瑞雲寺と石仏群

龍珠山瑞雲寺は曹洞宗の寺で、寺伝では明応元年(一四九二)の創立という。寺号は小田原北条氏家臣の信親(法名瑞雲院龍珠宗洞)に由るので、この頃中興したものであろう。山内には石造物群が多い。
・六観音石龕。坐像と立像の二型が現存し、この地方の六観音信仰の遺物として珍しい。
・六地蔵石龕
・石造阿弥陀如来座像
・石造観音菩薩立像二体
・石造地蔵菩薩立像二体
・石造閻魔王座像
・万霊供養塔
・唯念名号碑
・自然石石塔(観音・馬頭観音)二基(小田原市教育委員会掲示より)

自修学校発祥の地

明治時代、小学校の制度は全国的に普及したものの、それより上級の進学は不可能に近い状況が多かった。
瑞雲寺二十一代大井龍跳和尚は、この不備を救うため寺の本堂でこの地域の青年を教導し、やがて明治四十三年、ここに校舎を建設した。教科は修身・国語・漢文・英語・数学(代数・幾何)珠算など、後の旧制中学校三-四年程度を教えたという。
大正十二年、関東大震災により校舎は倒壊したが、大正十五年、規模を拡大するため東方の台地上に移転した。
後に校名は湘北中学校・湘北高等学校となる。更に学園は伊勢原市に移り向上高等学校と改名される。
その後、自修館中等教育学校を併設した。明治・大正・昭和・平成にわたり、この私学の果たした地域への貢献はまことに大きかった。
平成二十二年、学校法人向上学園は、創立百周年を迎えることとなった。(小田原市教育委員会掲示より)

瑞雲寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿