春光院。小田原市鴨宮にある浄土宗寺院

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

春光院。足柄三十三観音霊場

春光院の概要

浄土宗寺院の春光院は、安樂山浄土寺と号します。春光院は、経誉吟公上人が天文12年(1543)に開創、寺域が鴨宮・矢作に跨っていたことから、「矢作の春光院」と称されています。(「新編相模国風土記稿」には、九州地方に浄土宗を広めた浄土宗二祖鎮西聖光上人が建久9年(1198)に念仏道場として開創したと記載されています。)境内の菊川天神は、「幾久川天神」とも書され、太田道灌が文明10年(1478)に勧請したと記載されています。足柄三十三観音霊場6番霊場です。

春光院
春光院の概要
山号 安樂山
院号 春光院
寺号 浄土寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 小田原市鴨宮446
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



春光院の縁起

春光院は、経誉吟公上人が天文12年(1543)に開創、寺域が鴨宮・矢作に跨っていたことから、「矢作の春光院」と称されています。(「新編相模国風土記稿」には、九州地方に浄土宗を広めた浄土宗二祖鎮西聖光上人が建久9年(1198)に念仏道場として開創したと記載されています。)境内の菊川天神は、「幾久川天神」とも書され、太田道灌が文明10年(1478)に勧請したと記載されています。

境内掲示による春光院の縁起

春光院は、京都智恩院の中本寺で、門前の結界石には、鎮西聖光上人が建久9年(1198)に念仏道場として開いたとされていますが、現在は、中興開山ともいわれている経誉吟公上人がこの寺を再興した天文12年(1543)を開創年としています。
本堂は鴨宮の地に建っていますが、大門が旧矢作村にあったことから、「矢作の春光院」と呼ばれてきました。
江戸時代には、春光院の末寺は、千代の円宗寺をはじめとして7か寺ありました。「境内古絵図」によると、樹齢450年以上といわれる銀杏の大木や、本堂前の扇形芝生の相撲場、「亀鏡井」と書かれた井戸、辨天堂、鐘楼などがありました。元禄2年(1689)に小田原の山田次郎左衛門家久が鋳造した梵鐘をかけていた鐘楼や山門は江戸時代中期の作といわれています。
明治6年(1873)には、当地最初の小学校(千代小学校の前身)「九思館」がこの寺で開かれました。
本尊は木造阿弥陀如来立像、元禄9年(1696)作の木像法然上人坐像、善導大師坐像を安置しています。墓地には岩瀬家(戦後、三越の社長として長年財界で活躍)の大きな墓があります。春光院敷地内には、菊川天満宮や観音堂もあります。(境内掲示より)

新編相模国風土記稿による春光院の縁起

(矢作村)
春光院
安樂山浄土寺と號す、浄土宗、(京知恩院末、)建久九年鎮西聖光上人の起立なり、(嘉禎四年閏二月廿九日卒、)中興開山經與吟公、本尊三尊彌陀を安ず、寺域隣村鴨宮村に跨れり、(境内一段七畝餘は村内の除地、五段一畝餘は鴨宮村の除地なり、されど大門當村に在を以て村内に隷す、)
△鐘樓、元禄二年の鑄鐘をかく、
△天神社 幾久川天神と稱す、文明十年二月十五日、太田持資入道道灌の勧請と云、(新編相模国風土記稿より)


春光院の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿