寳泉寺。北条時長開基
寳泉寺の概要
臨済宗大徳寺派寺院の寳泉寺は、永禄山と号します。寳泉寺は、北条時長(宝泉寺大年用公)が開基となり、早雲寺二世勅諡東光智燈禅師を開山に迎えて永禄元年(1558)創建したといいます。
山号 | 永禄山 |
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院号 | - |
寺号 | 寳泉寺 |
本尊 | 釈迦如来像 |
住所 | 小田原市風祭918 |
宗派 | 臨済宗大徳寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
寳泉寺の縁起
寳泉寺は、北条時長(宝泉寺大年用公)が開基となり、早雲寺二世勅諡東光智燈禅師を開山に迎えて永禄元年(1558)創建したといいます。
新編相模国風土記稿による寳泉寺の縁起
(風祭村)寳泉寺
永禄山と號す、臨済宗、湯本村早雲寺末、開山大室、本山二世勅諡東光智燈禅師、永禄三年正月廿二日卒。永禄中建、開基北條時長、寳泉寺大年用公と為す、永禄三年七月廿日卒、事蹟詳ならず。本尊釈迦。
観音堂。門前にあり、如意輪観音を安ず。
毘沙門堂。此所に毘沙門の形に似たる自然石あり、村民等覆屋を造り置り、村民持。(新編相模国風土記稿より)
小田原市教育委員会掲示による寳泉寺の縁起
宝泉寺
永禄山宝泉寺は、永禄元年(1558)北条時長(宝泉寺大年用公)によって創建された臨済宗大徳寺派の古刹である。
寺は創建間もない、天正八年(1590)豊臣秀吉による小田原合戦の兵火に罹って堂宇は焼失し、その際数多くの寺宝が焼失してしまった。その後三世の僧菊経によって再建されたが、のちに衰微し、十二世僧仁渓によって、安政元年(1854)再建された。
兵火の難を逃れて現在寺に残されている文書が二点ある。一つは、小田原北条氏が宝泉寺に与えた禁制状で、寺の取締りについて保証したもの。他は宝泉寺の寺領の範囲を示したもので、元亀3年(1572)卯(4)月12日に北条幻庵が裏書をしたもので、いずれも小田原市の重要文化財に指定されている。
また本堂屋根瓦の三つ鱗紋や、寺の文書に見られるようにこの寺は北条氏との深いつながりをもつものと思われる。従来から開基北条時長については出生不明とされ、小田原北条氏の系譜にも見ることは出来ないが、おそらく小田原北条氏の一門と考えられている。(小田原市教育委員会掲示より)
寳泉寺所蔵の文化財
- 小田原北条氏が宝泉寺に与えた禁制状
- 宝泉寺の寺領の範囲を示した書状(元亀3年卯月12日北条幻庵裏書)
寳泉寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿