法秀寺。釼持大蔵(法号法秀)が開基
法秀寺の概要
日蓮宗寺院の法秀寺は、釼持山と号します。法秀寺は、釼持大蔵(法号法秀)が法華宗を深く信仰、永昌院日運上人を招請して、別邸を一寺として建立したといいます
山号 | 釼持山 |
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院号 | - |
寺号 | 法秀寺 |
本尊 | 一塔両尊四士 |
住所 | 小田原市国府津2-9-4 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法秀寺の縁起
法秀寺は、釼持大蔵(法号法秀)が法華宗を深く信仰、永昌院日運上人を招請して、別邸を一寺として建立したといいます。
「川東仏教会寺院名鑑」による法秀寺の縁起
開基檀担徒釼持佐右門の父大蔵(法号法秀)深く法華宗を信仰し隠道の志をいただきその別邸を挙げて寺を建立しようとし、千代本立寺十二世日養に譲りその志をたすけ、下総国飯高檀担林の永昌院日運上人を屈請し開山とし寺号を釼持山法秀寺と公称した。時に永禄7年1月であった。明治44年10月時の住職とはかり総本山身延山久遠寺の直末となる。(「川東仏教会寺院名鑑」より)
新編相模国風土記稿による法秀寺の縁起
(國府津村)
法秀寺
劔持山永昌院と號す、法華宗、(千代村本立寺末、)開山日運、永禄七年、(永禄十年正月元日卒、)開基劔持大蔵、(慶長三年八月廿三日卒、法名法秀日慶、今も村民に子孫あり、)本尊釋迦多寶を安ず、
△稲荷社(新編相模国風土記稿より)
法秀寺の周辺図
参考資料
- 「川東仏教会寺院名鑑」
- 新編相模国風土記稿