大蓮寺。小田原七福神の福禄寿、足柄三十三観音霊場
大蓮寺の概要
浄土宗寺院の大蓮寺は、稲荷山一花院と号します。大蓮寺は、報蓮社能誉(寛正2年1461年卒)が開山となり創建、大道寺駿河守政繁の母寳地院(法名孤峯蓮馨比丘尼)が中興開基、その際に現寺号に改めたといいます。小田原七福神の福禄寿、足柄三十三観音霊場32番霊場です。
山号 | 稲荷山 |
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院号 | 一花院 |
寺号 | 大蓮寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 小田原市南町2-4-9 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 小田原七福神めぐり福禄寿 |
大蓮寺の縁起
大蓮寺は、報蓮社能誉(寛正2年1461年卒)が開山となり創建、大道寺駿河守政繁の母寳地院(法名孤峯蓮馨比丘尼)が中興開基、その際に現寺号に改めたといいます。
新編相模国風土記稿による大蓮寺の縁起
(筋違橋町)大蓮寺
浄土宗京知恩院末、稲荷山一花院と號す。開山純栄、報蓮社能誉と號す、寛正二年十月十日卒。大道寺駿河守政繁、天正十年卒、の母寳地院中興開基す。是時今の寺號を授く、寳地院法名孤峯蓮馨比丘尼、上州安中大信寺に墓碑あり、其大信蓮馨の文字を摘て大蓮と名く、古は院號を通號とすと云。慶長十三年十一月十五日、浄土日蓮宗論のとき、當寺住僧了的、命を蒙りて論衆に加はる。浄土日蓮宗論記曰、知恩院之門英長寺上人廓山、被撰其対論之仁、小田原大蓮寺上人了的加艀。中興聖誉幡廓、正保四年七月十六日卒。
本尊弥陀、臺座共三尺六寸、恵心僧都作、又圓光大師自作の像を安置す。臺座共九寸。
観音堂。正観音を置、長一尺二寸五分、恵心作。
稲荷社。
鐘楼。鐘は寛永十八年鋳る。
子院。香樹庵、一花院、古西照院と云子院あり、宝暦十年大住郡堀斎藤村に引移せしこと、彼村に傳へり。(新編相模国風土記稿より)
大蓮寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿