足下ヶ地蔵堂。小田原市扇町にある時宗寺院
足下ヶ地蔵堂の概要
時宗寺院の足下ヶ地蔵堂は、法界山西光寺と号します。足下ヶ地蔵堂の創建年代等は不詳ながら、運慶作と伝えられる地蔵菩薩像が奉安され、慶安2年(1649)小田原城主稲葉美濃守正則がこの地蔵尊の霊験あらたかなことを聞き、伝運慶作の地蔵尊を腹籠りとした地蔵尊を奉安したといいます。
山号 | 法界山 |
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院号 | - |
寺号 | 西光寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 小田原市扇町2-15 |
宗派 | 時宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
足下ヶ地蔵堂の縁起
足下ヶ地蔵堂の創建年代等は不詳ながら、運慶作と伝えられる地蔵菩薩像が奉安され、慶安2年(1649)小田原城主稲葉美濃守正則がこの地蔵尊の霊験あらたかなことを聞き、伝運慶作の地蔵尊を腹籠りとした地蔵尊を奉安したといいます。
境内掲示による足下ヶ地蔵堂の縁起
足下ヶ地蔵尊の由来
此の地蔵尊の御本体は今より約六百五十年前運慶(雲慶とも称し、我が国最大の仏像彫刻師)の作と傳えられ長さ七寸二分の半跏趺坐像であります。慶安二年(三百十七年前)時の小田原の城主稲葉美濃守正則がこの地蔵尊の真に霊験灼かなることを聞き別に一軀を彫刻せしめて其の腹籠りと致しました。堂内に安置せられて在る十王も亦此の当時のものであります。
明治三十四年、近郷近在の信徒相集りて浄財を寄せ現在の御堂を再建し今日に及びました。
徳川時代に於いてはなとり地蔵尊の傳説を生んだことも著名であります。
御開帳一月二十三日
法界山西光寺(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による足下ヶ地蔵堂の縁起
(井細田村)
地蔵堂
足下ヶ地蔵と稱す、慶安二年稲葉美濃守正則、此地蔵運慶作(長七寸二分、)にて、靈像たる由を聞、別に一軀を彫刻せしめ、其腹籠とす、(安永中所記の縁起に見ゆ、)堂中に十王を安ず、
△堂守庵二 共に鉦打一人住居す、(時宗、小田原福田寺配下、)(新編相模国風土記稿より)
足下ヶ地蔵堂の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「川東仏教会寺院名鑑」