現幸山正蓮寺。中山法華経寺3世日祐より授与の大黒天
正蓮寺の概要
日蓮宗寺院の正蓮寺は、現幸山と号します。正蓮寺は、伊沢屋利兵衛が檀越となり、蓮光院日信を外護、中山法華経寺3世日祐より授与された大黒天像を奉安して一寺を建立、中山法華経寺3世日祐を開山に仰ぎ、蓮光院日信自身は開基となったといいます。
山号 | 現幸山 |
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院号 | - |
寺号 | 正蓮寺 |
本尊 | 一塔両尊 |
住所 | 小田原市扇町2-17-20 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正蓮寺の縁起
正蓮寺は、伊沢屋利兵衛が檀越となり、蓮光院日信を外護、中山法華経寺3世日祐より授与された大黒天像を奉安して一寺を建立、中山法華経寺3世日祐を開山に仰ぎ、蓮光院日信自身は開基となったといいます。
「日蓮宗寺院大鑑」による正蓮寺の縁起
延徳元(1489)年の創立。開山浄行院日祐。開基蓮光院日信。開基檀越伊沢屋利兵衛。池上・感応寺法縁。開基日信は中山法華経寺3世日祐の法孫で千葉家有縁の人と伝えられ、日祐ご持仏(宗祖御自作)甲子大黒天像を授与されてこの地に安置、伊沢屋利兵衛の外護のもと一堂を建立、山号は鍋冠日親が名付けたという。元禄・享保の頃は大黒天の信仰が盛んで隆昌を見たが、安政の災禍で小庵となり、大正12年の大震災で倒壊全焼、大正14年再興。大黒尊天は足柄銀行に保管され火災を免れ、以後火伏防災開運大黒天として甲子講が再起され、村内の繁栄と安全を祈念、甲子祭を奉行。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
新編相模国風土記稿による正蓮寺の縁起
(井細田村)
正蓮寺
現幸山と號す、(同末:下總國中山法華經寺末)開山日信、(蓮香院と號す、延徳元年九月廿四日卒、)は本寺二世の僧にて、隠棲の爲開基すと云、本尊三寶諸尊祖師又大黒天(長一寸七分、日蓮作、)を置、
△番神堂(新編相模国風土記稿より)
正蓮寺の周辺図
参考資料
- 「日蓮宗寺院大鑑」
- 新編相模国風土記稿