栄柳山本典寺。柳下源吾菅原本典開創
本典寺の概要
日蓮宗寺院の本典寺は、栄柳山と号します。本典寺は、柳下源吾菅原本典(柳元院日随)が享禄年間(1528-1532)に創建、天正19年(1591)に加茂宮から当地へ移転したといいます。
山号 | 栄柳山 |
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院号 | - |
寺号 | 本典寺 |
本尊 | 一塔両尊 |
住所 | 小田原市酒匂2-38-33 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本典寺の縁起
本典寺は、柳下源吾菅原本典(柳元院日随)が享禄年間(1528-1532)に創建、天正19年(1591)に加茂宮から当地へ移転したといいます。
新編相模国風土記稿による本典寺の縁起
(酒匂村)
本典寺
永柳山と號す(同末:身延久遠寺末)、縁起に據に、當寺昔は小名柳下にあり、もと當所の住人柳下源吾菅原本典墳墓の地なり(本典享禄四年六月十一日卒、日随と謚す)、僧日能(本典の子、或は孫とも云)、其冥福を修し、天文九年其地に就一寺を建、地名に付て山號とし、諱を取て寺號に銘すと云、故に今本典を開基とし、日能を開山と稱す、天正十九年今の地に移せり、此時寺域を除地となす、其後元和九年、安部備中守正次領主たりし時、門前五十八坪の地を寄附す(其證状曰、付置申門前五十八坪、幷土居之竹木諸役有之間鋪所實正也、仍而如件、元和九年七月十六日、本典寺、内藤貞右衛門花押、下宮利右衛門花押、)、本尊十界勧請の諸尊を置、(新編相模国風土記稿より)
「日蓮宗寺院大鑑」による本典寺の縁起
享禄(1528~32)年間の創立。開山柳元院日随。開基檀越柳元院本典日随居士。堀の内法縁。天正年間に旧加茂宮より現在地に移転。元禄16年震災で番神堂・妙見宮を残すのみとなり、翌年水害のため什宝も失う。文化11年の火災で堂宇焼失。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
本典寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「日蓮宗寺院大鑑」