廣昌山妙蓮寺。小田原市酒匂にある日蓮宗寺院
妙蓮寺の概要
日蓮宗寺院の妙蓮寺は、廣昌山と号します。妙蓮寺は、山崎氏の女妙蓮が開基檀越となり応永33年(1426)に創建、久遠成院日親が開山したといいます。。酒匂堰の開鑿に際して当時住職が成功祈願、無事竣工したことから祈禱慶長8年(1613)には領主大久保相模守忠隣から,120坪の地を寄進されたと伝えられます。
山号 | 廣昌山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙蓮寺 |
本尊 | 一塔両尊四士 |
住所 | 小田原市酒匂3-6-29 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙蓮寺の縁起
妙蓮寺は、山崎氏の女妙蓮が開基檀越となり応永33年(1426)に創建、久遠成院日親が開山したといいます。酒匂堰の開鑿に際して当時住職が成功祈願、無事竣工したことから祈禱慶長8年(1613)には領主大久保相模守忠隣から,120坪の地を寄進されたと伝えられます。
新編相模国風土記稿による妙蓮寺の縁起
(酒匂村)
妙蓮寺
廣昌山と號す、(同末:下總國中山法華經寺末)開山日親、應永三十三年六月建(長享二年九月十七日卒)、開基は山崎氏女なり(法號妙蓮信女、今村民に山崎氏四軒あり、何れの祖なるか詳ならず)、慶長八年領主大久保相模守忠隣、千百二十坪の地を寄附す、(其證状曰、定、立四十間、横二十五間千坪、右新寺家進置候、但永荒地候間如此候、此外百二十坪を塔中場付置候、幷彼於寺中大都之御用候共、竹木伐つべからず候、次本寺家之所者、諸給方候間、如前々坪年貢於納所可被下候、為其一札進之候、仍如鼎、慶長八癸卯六月二十四日、酒匂妙蓮寺、大權右花押、天金右花押、田九郎左花押、伊惣右花押、或説に酒匂堰新に疎鑿せられし時、時の住僧新禱の功ありて事成れり、故に此寺地を領主より寄附ありしと云、)本尊宗風の諸尊を置、
△三十番神堂(新編相模国風土記稿より)
「日蓮宗寺院大鑑」による妙蓮寺の縁起
応永33(1426)年6月の創立。開山久遠成院日親。開基檀越山崎氏の女妙蓮。池上・感応寺法縁。慶長8年に領主大久保相模守忠隣が1,120坪の地を寄進したが、第二次大戦で軍の用地として供出し現在はない。大正2年に同町内の本久寺が当寺と合併した。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
妙蓮寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「日蓮宗寺院大鑑」