永久寺。小田原市城山にある臨済宗妙心寺派寺院

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永久寺。大久保加賀守忠職が播州明石在城時に外祖母の菩提を弔うために創建

永久寺の概要

臨済宗妙心寺派寺院の永久寺は、盛徳山と号します。永久寺は、大久保加賀守忠職が播州明石在城の時に、外祖母盛徳院の冥福を祈るため、浅草桃林寺二世浮山紹圓を開山に迎えて、大應山盛徳寺と号して創建、大久保加賀守忠職の母永久院が亡くなった寛永20年現寺号に改めたといいます。

永久寺
永久寺の概要
山号 盛徳山
院号 -
寺号 永久寺
本尊 釈迦如来像
住所 小田原市城山3-7-23
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



永久寺の縁起

永久寺は、大久保加賀守忠職が播州明石在城の時に、外祖母盛徳院の冥福を祈るため、浅草桃林寺二世浮山紹圓を開山に迎えて、大應山盛徳寺と号して創建、大久保加賀守忠職の母永久院が亡くなった寛永20年現寺号に改めたといいます。

新編相模国風土記稿による永久寺の縁起

(谷津村)永久寺
大久保氏内庵の一なり、侍屋敷にあり。同宗(臨済宗)、京花園妙心寺末、盛徳山と號す、大久保加賀守忠職、播州明石在城の頃、寛永十八年三月、其外祖母盛徳院殿(亀子、後加納殿と稱し奉る、東照宮の姫君にて、奥平美作守信昌に嫁し給ふ)の冥福を祈らん為に、城下に一宇を建。僧浮山紹圓(江戸浅草桃林寺二世、本山の命に依て、住職、慶安二年五月廿一日卒)を延て始祖となし、大應山盛徳寺と號す、寛永二十年、忠職の母永久院(千姫と稱す、奥平信昌の女、東照宮の御外孫、大久保加賀守忠常室なり)卒去の時、今の山寺號に改む。故に盛徳院殿(香林大姉、寛永廿年四月六日卒、按ずるに浅草桃林寺に葬る)を両開基と稱す。今米五十石を附す、本尊釈迦。
観音堂。千手観音を置。一寸八分、毘首羯摩作。永久院守護佛と云。
鎮守社。秋葉金毘羅稲荷を祀る。
北條氏政氏照兄弟碑。巽隅にあり、臺座を合せ、長三尺、一基に二人の法名を并彫る、慈雲院殿勝岩傑公大居士、北條相模守氏政、青雲院殿楽關公大居士、北條陸奥守氏照、天正十八年七月十一日、背に生害之場所と彫れり。按ずるに兄弟生害ありし地は、城下田村安斎の宅なること、當時の記録に見えたり、安斎の宅蹟は、筋違橋・欄干橋両町の邊にあり、事は侍屋敷の條に詳なり、然るを當所となすもの解すべからず。
墓前に腰掛石と唱ふる石あり、縦二尺五寸、横三尺三寸。(新編相模国風土記稿より)


永久寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿