慈眼寺。小田原市城山にある黄檗宗寺院

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慈眼寺。元禄16年の大地震被災者を追福するため大久保加賀守忠増が創建

慈眼寺の概要

黄檗宗寺院の慈眼寺は、福聚山無量壽院と号します。慈眼寺は、元禄16年の大地震での被災者を追福するため、大久保加賀守忠増が一寺建立を企図、久野総世寺十八世實全と謀って、廃寺となっていた曹洞宗中府川村西光寺を引寺、僧恵極を中興開山に迎えて黄檗宗慈眼寺と号したといいます。

慈眼寺
慈眼寺の概要
山号 福聚山
院号 無量壽院
寺号 慈眼寺
本尊 釈迦如来像
住所 小田原市城山2-27-6
宗派 黄檗宗
葬儀・墓地 -
備考 -



慈眼寺の縁起

慈眼寺は、元禄16年の大地震での被災者を追福するため、大久保加賀守忠増が一寺建立を企図、久野総世寺十八世實全と謀って、廃寺となっていた曹洞宗中府川村西光寺を引寺、僧恵極を中興開山に迎えて黄檗宗慈眼寺と号したといいます。

新編相模国風土記稿による慈眼寺の縁起

(谷津村)慈眼寺
大久保氏内庵の一なり、字入谷津にあり。黄檗宗、山城國宇治郡大和田村萬福寺末。福聚山無量壽院と號す。大久保加賀守忠増、元禄十六年十一月廿三日大地震し、府内の人民横死許多なるを傷み、彼等追福の為に、一宇を建る志あり、幸に郡中府川村に、洞家の廃寺あり(久野村総世寺十世香馨、慶長十五年、隠棲の為に起立する所なり、萬治三年香馨卒後、廃蹟となる)、西光寺と號す。忠増彼寺の本寺総世寺の住僧(十八世實全)と謀り、寛永元年、引寺號の事を官に乞ひ、(寺社奉行安部飛騨守正喬奉れり)同四年許可あり。(本多弾正少弼忠晴奉れり)、是に於て寺號を慈眼寺と改め、正徳元年黄檗山の末となれり。同五年堂宇を此地に造立し、僧恵極をして住職とす(享保六年八月廿四日卒)。是を中興開山となす(實は開山なれど、舊寺を引遷せしを以て、中興とせしなり)。西光寺の舊地は(府川村内字天神下にあり)、今除地にして(今林となる、段別四畝四畝)、當寺の持なり。
本尊三尊弥陀。領主より米三十苞、金若干両、及び伊張山にて(久野村の属)、山林(段別五十三町)を附す。
鐘楼。享保廿一年四月鋳造の鐘なり。
鹿島社。寿永元年造立。(新編相模国風土記稿より)


慈眼寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿