高長寺。小田原市城山にある曹洞宗寺院

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高長寺。栖龍山高源院と萬寧山長吉寺とが合併

高長寺の概要

曹洞宗寺院の高長寺は、栖龍山と号します。高長寺は、栖龍山高源院と、萬寧山長吉寺とが明治33年に合併、栖龍山高長寺と号しています。栖龍山高源院は、北條氏綱の娘山木御大方(高源院長流泉香大姉)が開基となり、(北條氏直の伯父と伝えられる)越生龍穏寺13世梅臾林呑(天正18年1590年寂)が開山、萬寧山長吉寺は弘治元年(1555)の創建と伝えられます。

高長寺
高長寺の概要
山号 栖龍山
院号 -
寺号 高長寺
本尊 釈迦如来像
住所 小田原市城山1-23-2
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



高長寺の縁起

高長寺は、栖龍山高源院と、萬寧山長吉寺とが明治33年に合併、栖龍山高長寺と号しています。栖龍山高源院は、北條氏綱の娘山木御大方(高源院長流泉香大姉)が開基となり、(北條氏直の伯父と伝えられる)越生龍穏寺13世梅臾林呑(天正18年1590年寂)が開山、萬寧山長吉寺は弘治元年(1555)の創建と伝えられます。

新編相模国風土記稿による高長寺の縁起

(谷津村)
高源院
曹洞宗、武蔵國入間郡越生龍穏寺末、栖龍山と號す、開山梅臾林呑、(本寺十三世、北條氏直の伯父と傳ふ、天正十八年五月廿九日卒、)開基高源院長流泉香大姉は、北條氏康の妹にて、山木御大方と稱す、 (注釈を読む)
初は豆州に起立すと云、高源院より寺領一町五段を寄附あり、其寄附状今に蔵す、 (注釈を読む)
天正十四年九月、北條氏直豆州加茂郡小那部(今小鍋に作る、)二十貫文の地を寄附す、其状あり、 (注釈を読む)
又此時江雪斎融成も奉書を出せり、 (注釈を読む)
明年二月寺内の掟書を出す、 (注釈を読む)
本尊釋迦側に高源院及香沼女(法名天桂院梅林祐香大姉、元和三年四月廿日逝)の位牌を安ず、
△地蔵堂
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長吉寺
同宗(曹洞宗)(板橋村香林寺末、)萬寧山と號す、弘治元年建、開山葉山秀芳、(天正七年五月晦日卒、)本尊薬師(新編相模国風土記稿より)

境内掲示による高長寺の縁起

高長寺
小田原北条時代に創立された高源院と長吉寺が明治33年(1900)合併したとき、両寺号の頭文字をとり高長寺と称した。この寺には北条氏綱の娘・崎姫(山木御大方)の歴史を秘めた寺として、また、江戸時代最後の幕府公許の仇討として、文政の曽我兄弟とまでいわれた浅田兄弟の墓。日本近代文学に大きな業績を残した小田原の生んだ文学者・北村透谷の墓のある寺として有名である。正面の立派な門は、その昔西栢山村の旧家井上八右衛門のものであったという。境内にはる白木蓮の大木は花期になると見事に咲き誇り近郷近在から見物に来る人で賑わう。(境内掲示より)


高長寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿