桃源寺。美濃加茂城主里見安房守忠義の菩提を弔うために創建
桃源寺の概要
曹洞宗寺院の桃源寺は、龍鳳山雲晴院と号します。桃源寺は、大久保加賀守忠常の嫡女、美濃加茂城主里見安房守忠義(法名雲晴院心宗賢涼居士)の菩提を弔うため、加納久雲寺住僧を招いて忠義の後室(法名桃源院仙悲妙壽大姉)が追福、寛永年間に忠職が能山耳藝を開山に迎えて龍鳳山雲晴院桃源寺と号して創建、藩の移封に伴い当地に移転したといいます。
山号 | 龍鳳山 |
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院号 | 雲晴院 |
寺号 | 桃源寺 |
本尊 | 釈迦如来像 |
住所 | 小田原市城山2-23-3 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
桃源寺の縁起
桃源寺は、大久保加賀守忠常の嫡女、美濃加茂城主里見安房守忠義(法名雲晴院心宗賢涼居士)の菩提を弔うため、加納久雲寺住僧を招いて忠義の後室(法名桃源院仙悲妙壽大姉)が追福、寛永年間に忠職が能山耳藝を開山に迎えて龍鳳山雲晴院桃源寺と号して創建、藩の移封に伴い当地に移転したといいます。
新編相模国風土記稿による桃源寺の縁起
(谷津村)桃源寺
同宗(曹洞宗)、美濃國厚見郡加納久雲寺末、大久保内庵の一、境内は侍屋敷の内なり。龍鳳山雲晴院と號す。大久保加賀守忠常の嫡女、里見安房守忠義に嫁す、忠義伯州舎吉に謫せらるる(按ずるに元和元年なり)、の後、其室大帰せり。忠常の息加賀守忠職、濃州加納城を賜し(按ずるに寛永九年なり)後、忠義の後室、夫菩提の為(忠義元和三年六月十九日、配所にて卒す、法名雲晴院心宗賢涼居士、按ずるに断家譜には、元和八年に作る)、彼城下に小院を営み、久運寺住僧能山を招て、追福を修せしむ。寛永中忠職就て一寺となし、夫婦の院號を採り、今の寺院の號を授け、即能山耳藝を(明暦元年三月二日卒)開山始祖とし、後室を開基とす(法名桃源院仙悲妙壽大姉、明暦元年潤八月晦日卒)。爾来城主に随逐して、當所に至ると云、本尊釈迦、堂前に龍鳳山(明僧高泉筆)の額を扁す。
白山社。(新編相模国風土記稿より)
桃源寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿