養託寺。小田原市城山にある真宗大谷派寺院

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養託寺。小田原市城山にある真宗大谷派寺院

養託寺の概要

真宗大谷派寺院の養託寺は、瑞渓山と号します。養託寺は、眞暁法師が元和2年(1616)佐賀県唐津に創建、当寺4世普門は易学に通じていたことから、唐津藩主だった大久保出羽守忠朝に、しばしば召し出されていたといいます。大久保出羽守忠朝の転封に伴い、佐倉へ移転、更に小田原へ移転し貞享2年(1685)小田原谷津に堂宇を建立しています。新幹線敷設工事・都市計画に伴い、昭和42年当地へ移転しています。

養託寺
養託寺の概要
山号 瑞渓山
院号 -
寺号 養託寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 小田原市城山2-2-1
宗派 真宗大谷派
葬儀・墓地 -
備考 -



養託寺の縁起

養託寺は、眞暁法師が元和2年(1616)佐賀県唐津に創建、当寺4世普門は易学に通じていたことから、唐津藩主だった大久保出羽守忠朝に、しばしば召し出されていたといいます。大久保出羽守忠朝の転封に伴い、佐倉へ移転、更に小田原へ移転し貞享2年(1685)小田原谷津に堂宇を建立しています。新幹線敷設工事・都市計画に伴い、昭和42年当地へ移転しています。

新編相模国風土記稿による養託寺の縁起

(谷津村)
養詫寺
大久保氏内庵の一なり、(侍屋敷にあり、)浄土真宗、(東六條本願寺末、)瑞渓山養詫庵と號す、開基眞暁法師、元和二年肥前國松浦郡唐津にて一寺を建、山寺號を本山より免許あり、四世普門、易學に精しき聞えあり、時の城主大久保出羽守(後加賀守と改む、)忠朝しばしば占考を命ず、忠朝延寶六年下總州佐倉に所替の時、其地に移し、(此時本山に請ひ養詫庵と改む、五世達秀の時、舊に復すと傳ふ、)夫より随逐して當所に至る、忠朝の息加賀守忠增、普門を召て易の講義あり、(元禄十四年七月十六日なり)普門を中興と稱す、(享保五年三月廿三日卒、)本尊阿彌陀、(新編相模国風土記稿より)

「全国寺院名鑑」による養託寺の縁起

小田原藩主肥前唐津から移転の際、貞享二年、小田原谷津に一宇を建立。その後火災大風等にあい寺宝記録などを失う。国鉄新幹線工事と都市計画のため昭和四二年現在地に移転。(「全国寺院名鑑」より)


養託寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 「全国寺院名鑑」