大光院。曽我太郎祐信の守本尊不動明王
大光院の概要
本山修験宗寺院の大光院は、諸法山実相寺と号します。大光院は、曽我太郎祐信の守本尊と伝えられる不動明王を本尊として、文明18年(1426)祐信の十一代目曽我祐高の末子氏重出家が創建したといいます。
山号 | 諸法山 |
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院号 | 大光院 |
寺号 | 実相寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 小田原市曽我谷津487 |
宗派 | 本山修験宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大光院の縁起
大光院は、曽我太郎祐信の守本尊と伝えられる不動明王を本尊として、文明18年(1426)祐信の十一代目曽我祐高の末子氏重出家が創建したといいます。
境内掲示による大光院の縁起
本山修験宗諸法山実相寺大光院
由緒沿革
当院は本山修験宗(山伏)の総本山京都の聖護院の末寺なり。
本尊不動明王は曽我兄弟を幼少の時から育てた養父曽我太郎祐信(鎌倉時代当地の城主、桓武天皇の後胤平祐家の子)の守本尊にして、曽我兄弟は特に不動明王を信仰していたので、養父の守本尊であるこの不動明王にも当然本願成就(仇討が出来るよう)の祈願をこめたことであろう。
祐信より十一代目祐高の末子氏重出家いたし廃寺状態になっていた当院を再建し、文明十八年先祖の守本尊不動明王を奉じて中興開山となり現在に至る。(当院宝蔵の過去帳より転記)(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による大光院の縁起
(曾我谷津村)
大光院
本山修驗、(小田原玉瀧坊觸下、)諸法山實相寺と號す、本尊不動、(弘法大師作、吉野不動を腹籠とす、按ずるに、村民八郎左衛門が家系に、此像は先祖曾我左馬介祐氏が守本尊なりしを、文明十八年に當院を創建せし時納むと載す、されど當寺には傳へざる事なり、)中興開山惠應、(永禄元年三月廿八日卒、)
曾我祐信木像(長一尺、祐信の子孫甚九郎なる者彫刻する所と云)
萬劫木像(長八寸五分、同作)(新編相模国風土記稿より)
大光院の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「川東仏教会寺院名鑑」