下九沢御嶽神社。応永年間勧請、旧称蔵王権現社
下九沢御嶽神社の概要
御嶽神社は、相模原市緑区下九沢にある神社です。御嶽神社は、九沢山金泉寺を開いた源秀が応永年間(1394~1428)に勧請したと伝えられ、蔵王権現社と称していたといい、江戸期には社領6石1斗の御朱印状を受領したといいます。明治2年御嶽神社と改称、大神社・天満宮・日枝神社などを合祀したといいます。
社号 | 御嶽神社 |
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祭神 | 日本武尊 |
合祀 | - |
境内社 | - |
住所 | 相模原市緑区下九沢1336 |
祭日 | 例大祭8月26日 |
備考 | - |
下九沢御嶽神社の由緒
御嶽神社は、九沢山金泉寺を開いた源秀が応永年間(1394~1428)に勧請したと伝えられ、蔵王権現社と称していたといい、江戸期には社領6石1斗の御朱印状を受領したといいます。明治2年御嶽神社と改称、大神社・天満宮・日枝神社などを合祀したといいます。
新編相模国風土記稿による下九沢御嶽神社の由緒
(下九澤村)蔵王権現社
村の鎮守、神躰木像、本地佛釋迦、應永年間金泉寺開山源比で勧請す、今に同寺の持なり、慶安二年八月二十四日、社領六石一斗餘の御朱印を附らる。祭礼七月二十一日。
鐘楼。鐘は近時の物。
杉一株。神木なり圍一丈二尺餘。
末社。稲荷、天王、天神。(新編相模国風土記稿より)
さがみはら風土記稿による下九沢御嶽神社の由緒
御嶽神社は下九沢塚場地区にある旧下九沢村の鎮守です。
この神社は明治2年に「御嶽神社」と改称されましたが、それ以前は「蔵王大権現」と呼ばれていました。また、創建は定かではありませんが、応永年間(1394~1428)に九沢山金泉寺を開いた源秀によって勧請されたと伝えられています。
さて、『風土記稿』を見ると「杉一株神木なり」という記録があります。これは近年まで境内にそびえていた大杉のことで、その樹高は40mを越え、根回りは5.7mにもおよんでいました。そのため昭和33年には市の天然記念物にも指定されましたが、あまりの老木のためついに枯朽し、現在では社殿の裏手にその切り株だけが残されています。
また境内には皇大神社・天満宮・日枝神社などが合祀されています。この日枝神社は塚場地区の氏神として明治41年までは現在の塚場自治会館のところにあったものです。
なお、例大祭の日には境内で「下九沢の獅子舞」が奉納されますが、これは剣獅子・玉獅子・巻獅子、そしてバンバ画が勇壮な舞いを見せるもので、県指定の文化財となっています。そのため昭和41年には「獅子舞の碑」も建てられています。広い境内は木々に囲まれ、静かな風情を残しています。(さがみはら風土記稿より)
下九沢御嶽神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿