天縛皇神社。天文元年創建、旧小山村の鎮守
天縛皇神社の概要
天縛皇神社は、相模原市中央区宮下本町にある神社です。天縛皇神社の創建年代等は不詳ながら、天文元年(1532)の創建とも伝えられ、天縛明神社と称し小山村の鎮守だったといいます。明治初年神仏分離令により祭神を帝釈天から伊邪那岐命・伊邪那美命へ変更し、天縛皇神社と改称、明治42年足穂神社(小山村にあった神明社・熊野社・山王社が合祀されて発足)を合祀したといいます。
社号 | 天縛皇神社 |
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祭神 | 伊邪那岐命、伊邪那美命 |
相殿 | 天照皇大神、神呂岐命、大山咋命 |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 相模原市中央区宮下本町3-23-7 |
備考 | - |
天縛皇神社の由緒
天縛皇神社の創建年代等は不詳ながら、天文元年(1532)の創建とも伝えられ、天縛明神社と称し小山村の鎮守だったといいます。明治初年神仏分離令により祭神を帝釈天から伊邪那岐命・伊邪那美命へ変更し、天縛皇神社と改称、明治42年足穂神社(小山村にあった神明社・熊野社・山王社が合祀されて発足)を合祀したといいます。
新編相模国風土記稿による天縛皇神社の由緒
(小山村)天縛明神社
祭神帝釋天、本地十一面観音、村の鎮守、例祭七月二十九日、牛頭天王を相殿に置、蓮乗院持下同。
末社。稲荷。
神楽殿。(新編相模国風土記稿より)
さがみはら風土記稿による天縛皇神社の由緒
天縛皇神社は宮下本町の北端にあります。この神社は旧小山村の鎮守で、現在は住居表示のために地区名が変わってしまいましたが、以前はこの神社より西側を「宮上」(現在の東橋本)、そして東側を「宮下」と呼び分けていました。
『風土記稿』を調べると、もともとは「天縛明神社」といい、同村内の寺院天縛山蓮乗院持ちとして帝釈天を祭神とし、本地十一面観音や牛頭天王を祀っていたことがわかります。しかし、明治初期の神仏分離により名称を「天縛皇神社」とし、祭神を帝釈天から伊邪那岐命・伊邪那美命に変えています。
境内には天照皇大神・神呂岐命・大山咋命も祀られていますが、これは明治42年にこれらを祀っていた足穂神社を合祀したためです。先の『風土記稿』を見ると小山村には神明社・熊野社・山王社が記録されていますので、おそらくそれらの神社が一時足穂神社に合祀され、さらに天縛皇神社に合祀されたものではないのでしょうか。
なお、天縛皇とは変わった名称ですが、おそらく伊勢信仰に係わる天白信仰に基づくものではないかとみられ、”天を縛る”というような大げさな発想はないようです。(「さがみはら風土記稿」より)
境内掲示による天縛皇神社の由緒
天文元年(1532)にして今から四百五十年前の創設と伝えられ、明治四十二年十月二十六日宮上の地にありし足穂神社より天照皇大神・神呂岐命・大山咋命を遷宮合祀すとあり。(境内掲示より)
天縛皇神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿