十二天神社。かつて下溝古山の湧水のすぐ脇に鎮座
十二天神社の概要
十二天神社は、相模原市南区下溝にある神社です。十二天神社の創建年代等は不詳ながら、下溝古山の湧水のすぐ脇に鎮座していたものを、久世大和守広之の当地寄進により、寛文2年(1662)当地へ遷座したといいます。明治30年、地内の八坂神社と日枝神社を合祀しています。
社号 | 十二天神社 |
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祭神 | 高皇産美命 |
相殿 | 豊雲野命、天之御中主命 |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭7月21日前後の日曜日 |
住所 | 相模原市南区下溝2376 |
備考 | - |
十二天神社の由緒
十二天神社の創建年代等は不詳ながら、下溝古山の湧水のすぐ脇に鎮座していたものを、久世大和守広之の当地寄進により、寛文2年(1662)当地へ遷座したといいます。明治30年、地内の八坂神社と日枝神社を合祀しています。
新編相模国風土記稿による十二天神社の由緒
(下溝村)
十二天社
大光院持、(新編相模国風土記稿より)
「さがみはら風土記稿」による十二天神社の由緒
下溝古山 十二天神社
下溝古山地区の鎮守として山林を背にした集落の北端に位置しています。
境内の端からは清らかな「おみたれ水」が湧き出ており、その水を利用してクレソンなどが栽培されています。
神社の創建は明らかではありませんが、寛文2年(1662)この地を検地した久世大和守広之は、村人との相談の中で湧水のすぐ脇にあった小さな祠を高所に移すことを提言しました。それが現在の境内地だと伝えられています。
明治30年、古山地区の畑中に鎮座していた八坂神社と日枝神社が十二天神社に合祀されました。現在、境内にある神楽殿はその時に移設された両社の拝殿を利用したものです。
なお、八坂神社と日枝神社の跡地には昭和8年に青年会によって記念碑が立てられています。
十ニ天神社は山林と湧水とに恵まれた、市内で最も古くからの景観を残した神社といえましょう。(「さがみはら風土記稿」より)
神奈川県神社誌による十二天神社の由緒
7月21日前後の日曜日
創建年月は不詳。寛文二年(一六六二)久世大和守広之検地の際、十二天社に御供免地の寄進があった。明治三十年に豊雲野命、天之御中主命を合祀した。明治三十四年社殿を再建し今日に至る。(神奈川県神社誌より)
十二天神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿