茨山稲荷神社。京都伏見稲荷大社本宮を勧請
茨山稲荷神社の概要
茨山稲荷神社は、相模原市南区上鶴間本町にある神社です。茨山稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、安永7年(1778)には既に祀られていたといい、京都伏見稲荷大社本宮を勧請したものだといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 大宮能売命、宇迦之御魂神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 相模原市南区上鶴間本町6-21-8 |
祭日 | - |
備考 | - |
茨山稲荷神社の由緒
茨山稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、安永7年(1778)には既に祀られていたといい、京都伏見稲荷大社本宮を勧請したものだといいます。
新編相模国風土記稿による茨山稲荷神社の由緒
(上鶴間村)
該当記載なし(新編相模国風土記稿より)
「さがみはら風土記稿」による茨山稲荷神社の由緒
該当記載なし(「さがみはら風土記稿」より)
境内掲示による茨山稲荷神社の由緒
当稲荷神社は安永七年(一七七八年)徳川十代将軍家治の時代、今から二三一年前にすでに祀られていたと思われます。京都伏見稲荷大社本宮より御霊を分霊して受けたものです。
住民の生活はその殆どが農家であったが、地形は水利の便が悪く、農家の主な生産物の米も水稲は僅かで陸稲や麦等が主であったが、それも年貢と自給分の外には売って現金を得る程の余裕はあまり無かった。副業以上に力を入れて現金収入の目的で営まれた養蚕も技術の遅れと病害や天候等に左右されて、春、秋、晩秋と年三回の努力も無駄になる事が極めて多く、商売繁昌の外に五穀の豊穣と養蚕成就の御加護を願って、稲荷神社を建立したものと思量されます。
社会の変遷により養蚕農家もなくなり、現在では心願成就、家内安全、学業成就、交通安全など招福除災の神として信仰されています。(境内掲示より)
茨山稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿