兒桧山華蔵院。関東八十八ヶ所霊場
華蔵院の概要
真言宗智山派寺院の華蔵院は、兒桧山慈眼寺と号します。華蔵院は、天文3年(1534)に僧長尊が安楽坊と法泉坊を合寺して一院となしたといい、元和元年(1615)から翌年にかけて僧円西が再建、慶安2年(1649)には寺領8石4斗の御朱印状を受領したといいます。関東八十八ヶ所霊場62番です。
山号 | 兒桧山 |
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院号 | 華蔵院 |
寺号 | 慈眼寺 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
住所 | 相模原市緑区相原6-19-13 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
華蔵院の縁起
華蔵院は、秀慶(応仁2年1468年寂)が開山、5世源清が天正10年(1582)に中興したといいます。
新編相模国風土記稿による華蔵院の縁起
(上相原村)花蔵院
兒松山華蔵院と號す、新義真言宗(武州多磨郡上椚田村薬王院末)、開山秀慶(應仁二年卒)、天正十年僧源清中興す、本尊阿彌陀。
内ノ御前社。天神社。薬師堂(新編相模国風土記稿)
平成さがみはら風土記稿による華蔵院の縁起
華蔵院は、相原のバス停「森下」より北へ300m、城山町との境界近くにある真言宗智山派寺院です。
『風土記稿』によると、薬王院(八王子市高尾)の末寺で、山号を兒桧山といい、阿弥陀如来を本尊としています。また、開山は秀慶〔応仁2年(1468)没〕で、天正10年(1582)に5世源清によって中興されたとしています。
さらに『地誌』では貞享4年(1687)に9世秀源が中興し、その後、荒廃したものを嘉永2年(1849)に22世英津が再建したことを加えています。
ちなみに薬壬院に伝わる伝説「寺宝七度返りの刀」に登場する祐清は、後に当寺の6世となっています。
当寺は八幡宮の別当寺であったため神仏習合の影響が強く残り、貞享元年(1684)の刻銘のある「牛頭明王坐像懸仏」や寛政10年(1798)の「八幡宮再建遷宮棟札」などが保管されています。また、年末には「お釜締め」として「歳神さま」「荒神さま」などの御幣を各檀家に配布しています。なお、境内には天満宮も合祀されており、5月の祭礼には参拝者で賑わっています。
ほかに「国定忠治の力石」と呼ばれる一抱えもある石があります。忠治は江戸後期の侠客で、この石を軽々と持ち上げたと伝えられています。(平成さがみはら風土記稿より)
華蔵院の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿