龍源山正泉寺。関東百八地蔵尊霊場
正泉寺の概要
曹洞宗寺院の正泉寺は、龍源山と号します。正泉寺は、天正19年(1591)吉川下総守が邸内に堂字を建立、慶蔵主という憎を招いて澗淋山昌泉寺として創建、慶長3年(1598)に功雲寺9世州山洞益を迎えて龍源山昌泉寺と改めたといいます。関東百八地蔵尊霊場の第91番札所です。
山号 | 龍源山 |
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院号 | - |
寺号 | 正泉寺 |
本尊 | 虚空蔵地蔵 |
住所 | 相模原市緑区相原6-6-2 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正泉寺の縁起
正泉寺は、天正19年(1591)吉川下総守が邸内に堂字を建立、慶蔵主という憎を招いて澗淋山昌泉寺として創建、慶長3年(1598)に功雲寺9世州山洞益を迎えて龍源山昌泉寺と改めたといいます。
新編相模国風土記稿による正泉寺の縁起
(上相原村)昌泉寺
龍源山と號す、曹洞宗(津久井縣根小屋村功雲寺末)開山州山洞蓋(慶長四年九月朔日卒本寺九世の僧なり)開基吉川下總(文禄元年十月朔日死す、村民五郎左衛門が先祖なり)本尊虚空蔵。
大鐘(近世鑄造)
白山社。(新編相模国風土記稿)
平成さがみはら風土記稿による正泉寺の縁起
正泉寺は、バス停「相原児童館前」より北西へ200m、境川を背にする曹洞宗の寺院です。
『風土記稿』によると、功雲寺(津久井町根小屋)の末寺で、山号を龍源山といい、虚空蔵菩薩を本尊としています。
また、開山は功雲寺9世の州山洞益〔慶長4年(1599)没〕で、開基を吉川下総〔文禄元年(1592)没〕としています。
これについて寺伝では、天正19年(1591)吉川下総守が、毛利家並びに吉川家の先祖供養のため屋敷内に堂字をたて、慶蔵主という憎を招いて澗淋山昌泉寺として開いたと伝えています。そして慶長3年(1598)に功雲寺の末寺となり同寺より州山洞益を迎えて龍源山昌泉寺と改めたとしています。
現在のように正泉寺となったのは、明治時代になってからのことです。
当寺は関東百八地蔵尊霊場の第91番札所となっており、境内には数多くの地蔵が見られます。また、多くの仏像も安置されていますが、そのひとつ烏枢沙摩明王立像には、江戸時代の鎌倉仏師三橋宮内の墨書銘があります。
当寺は古くから地域の教育の場として親しまれ、江戸時代には寺小屋が開かれています。
また、明治時代になると、現在の相原小学校の前身である「益進学舎」も開校されています。(平成さがみはら風土記稿より)
正泉寺所蔵の文化財
- 相原正泉寺の徳本念仏塔(相模原市登録有形民俗文化財)
相原正泉寺の徳本念仏塔
徳本は江戸時代後期に念仏を広めて歩いた僧で、村の念仏講中は徳本の書を求め念仏塔を建てました。元は約200m北西の旧阿弥陀堂跡地にありました。(相模原市教育委員会掲示より)
正泉寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿