大瀧山長徳寺。武相卯歳観音霊場四十八ヶ所
長徳寺の概要
曹洞宗寺院の長徳寺は、大瀧山と号します。長徳寺は、鳳山良長(永禄3年1560年没)が開基となり、相模川沿いの崖下に創建、功雲寺9世州山洞益(慶長4年1599年没)が開山したといいます。その後がけ崩れにより当地へ移転、慶安2年(1649)には寺領11石1斗の御朱印状を受領しています。当寺観音像は武相卯歳観音霊場四十八ヶ所26番となっています。
山号 | 大瀧山 |
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院号 | - |
寺号 | 長徳寺 |
本尊 | 釈迦如来像 |
住所 | 相模原市緑区大島756 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長徳寺の縁起
長徳寺は、鳳山良長(永禄3年1560年没)が開基となり、相模川沿いの崖下に創建、功雲寺9世州山洞益(慶長4年1599年没)が開山したといいます。その後がけ崩れにより当地へ移転、慶安2年(1649)には寺領11石1斗の御朱印状を受領しています。
新編相模国風土記稿による長徳寺の縁起
(大島村)
長徳寺
大瀧山と號す、曹洞宗(津久井縣根小屋村功雲寺末)開基鳳山良長(永禄三年七月十二日卒)開山州山洞益(慶長四年九月朔日卒)慶安二年寺領十一石一斗の御朱印を賜ふ、本尊釋迦、
大鐘。本堂に掛(元禄二年鑄造)
觀音堂。如意輪觀音を置、(新編相模国風土記稿)
平成さがみはら風土記稿による長徳寺の縁起
長徳寺は、大島のバス停「上大島」より南へ300mにある曹洞宗の寺院です。
『風土記稿』によれば、功雲寺(津久井町)の末寺で、山号を大瀧山といい、釈迦如来を本尊としています。
開基は鳳山良長〔永禄3年(1560)没〕、開山は州山洞益〔慶長4年(1599)没〕とし、慶安2年(1649)には11石1斗の朱印地を与えられています。
伝承では、鳳山良長はもともと武士で、いつの頃にか起きた合戦で多くの部下を亡くしたため相模川沿いの崖下に小さな堂を建て、自らが出家してその霊を弔ったといわれています。その後、子の高岩、孫の全亮と供養が3代つづき、やがて功雲寺から州山洞益を迎えて開山としましたが、崖崩れのために小堂は倒壊し、そこで現在地に再建したものだといわれています。
以前は山門の脇に観音堂があり、武相観音札所26番として参拝の人々で賑わいました。また、江戸時代には寺小屋も開かれ、地域の児童の教育に貢献しています。
境内の鐘楼の脇には特徴的な文字で刻まれた名号塔があります。これは一般に徳本念仏塔(※諸国を巡錫した徳本の独特の書体による名号塔)と呼ばれるもので、文政2年(1819)に講中によって建てられたものです。(平成さがみはら風土記稿より)
長徳寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- さがみはら風土記稿