倉見神社。山中彦八郎が勧請・奉斎した神明社と熊野社を合併
倉見神社の概要
倉見神社は、寒川町倉見にある神社です。倉見神社は、山中彦八郎が倉見を知行していた時、神明社と熊野社を勧請して倉見の鎮守として奉斎、天正19年(1591)以来、高木甚太郎清方が両社へ供米を奉納、佐野肥前守義行は熊野社へ供米奉納、更に高木氏の供米は神明社のみとなっていたといいます。明治2年神明社と熊野社を合併して倉見大神と改称、明治6年村社に列格、昭和18年倉見神社と改称したといいます。
社号 | 倉見神社 |
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祭神 | 天照大神、熊野加武呂岐命 |
相殿 | - |
境内社 | 浅間大神 |
祭日 | 例大祭10月2日 |
住所 | 寒川町倉見46 |
備考 | - |
倉見神社の由緒
倉見神社は、山中彦八郎が倉見を知行していた時、神明社と熊野社を勧請して倉見の鎮守として奉斎、天正19年(1591)以来、高木甚太郎清方が両社へ供米を奉納、佐野肥前守義行は熊野社へ供米奉納、更に高木氏の供米は神明社のみとなっていたといいます。明治2年神明社と熊野社を合併して倉見大神と改称、明治6年村社に列格、昭和18年倉見神社と改称したといいます。
新編相模国風土記稿による倉見神社の由緒
(倉見村)
神明社
宮原村觀蔵寺持下同、
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熊野社(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による倉見神社の由緒
山中彦八郎が倉見を知行していた時、神明社と熊野社を勧請して倉見の鎮守として奉斎した。
天正十九年(一五九一)以来、高木甚太郎清方が両社へ供米四斗ずつ奉納し、その後、佐野肥前守義行は熊野社へ供米奉納のことなどがあり、更に高木氏の供米は神明社のみとなり、以来明治維新に及ぶ。
明治二年両社を合併して倉見大神と改称し、同六年十二月村社に列せられ、昭和十八年十一月四日には倉見神社と改称された。
往時に於ける社殿の規模などは詳らかでないが、現存する社蔵の棟札によって安永三年(一七七四)六月、氏子一同の寄進を以って神明社の本殿修復、並に熊野社の拝殿建立のことが知られる。
現在の本殿は明治二十七年五月、寒川神社より同社の旧本殿の譲与を受けて移建したもので、同社の記録によると寛保元年(一七四一)に造営されたものである。(神奈川県神社誌より)
倉見神社所蔵の文化財
- 倉見神社本殿(寒川町指定重要文化財)
- 夫婦欅(寒川町指定重要文化財)
倉見神社本殿
寒川神社本殿として寛保元年(一七四一)に造営されたもので、明治二十八年の寒川神社造営に際し、村社倉見神社本殿として移築された。十二支をはじめ花鳥及び獣等の江戸時代の彫刻が配置されている。(寒川町教育委員会掲示より)
夫婦欅
樹齢約三百年と推定され、根元から約二メートルのところで二股に分かれているところから夫婦欅とよばれている。
幹回りは大きい方が五・二メートル以上あり、高さは約二十メートル。天然記念物として寒川町内にその比を見ない巨木である。氏子が夫婦円満を願って植樹、育成したものであろう。(寒川町教育委員会掲示より)
倉見神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌