岩原八幡神社。南足柄市岩原の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

岩原八幡神社。源頼義創建、岩原・塚原の鎮守

岩原八幡神社の概要

岩原八幡神社は、南足柄市岩原にある神社です。岩原八幡神社は、源頼義が陸奥守として奥州へ赴任の途次に建立したと伝えられます。その後源頼朝が富士の巻狩に際し社殿の改修を命じて巻狩の無事を祈願、小田原城主大森氏、更に大森氏を破った小田原北条氏も当社を崇敬したといいます。江戸期には岩原村・塚原村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。

岩原八幡神社
岩原八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 品陀別命
相殿 -
境内社 八坂社、稲荷社、天王社
祭日 例祭3月15日前後の日曜日
住所 南足柄市岩原937
備考 旧村社



岩原八幡神社の由緒

岩原八幡神社は、源頼義が陸奥守として奥州へ赴任の途次に建立したと伝えられます。その後源頼朝が富士の巻狩に際し社殿の改修を命じて巻狩の無事を祈願、小田原城主大森氏、更に大森氏を破った小田原北条氏も当社を崇敬したといいます。江戸期には岩原村・塚原村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格していました。

境内掲示による岩原八幡神社の由緒

八幡神社は、源頼義が陸奥(現在の青森県あたり)の鎮守としておもむく途中に建立し、その後源頼朝が富士の巻狩の途中ここに参拝して、社殿の改修を命じ、巻狩の無事を祈願したと伝えられています。
新編相模風土記稿によりますと、一六五七年(明暦三年)の棟札には、源頼朝が建立したと書かれています。その後、駿河から小田原へ侵入して来た大森氏をほろぼした小田原の北条氏も、この八幡神社をうやまい大切にしました。
現在も岩原及び塚原の鎮守として、深く信仰されています。例祭は三月十五日でしたが、現在では日曜日に行われています。(南足柄市観光協会・南足柄市教育委員会掲示より)

新編相模国風土記稿による岩原八幡神社の由緒

(岩原村)
八幡宮
明暦三年の棟札に、源賴朝建立とあり、後大森安藝守某再建し、又北條早雲修理を加へし由記せり、里正が蔵する古城略記に、城蹟の東北にありと記せしは則當社なり、記中に載する城蹟圖(下に模出す)に出す所も今の地に合へり、幣殿・拝殿あり、例祭二月十五日當村及塚原村の鎮守とす、村持、
△末社山王(里正が蔵する古城略記城蹟圖、大森氏墓の南に山王蹟と記す、當時は其地にありしにや、)
△神木松二株(一は圍一丈四尺一は八尺)槻二株(一は圍九尺、一は圍七尺)杉(圍八尺)共に老樹なり、(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による岩原八幡神社の由緒

源頼義陸奥の鎮守として赴任の途次当地三峯山に建立、その後頼朝公富士の巻狩の途次参拝、社殿の改修を命じ、巻狩の無事を祈願したと伝えられ、新編相模風土記に依れば「明暦三年(一六五七)の棟札に、源頼朝建立とあり、後大森安芸守某再建し、又北条早雲修理を加へし由記せり里正が蔵する岩原古城略記に、城跡の東北にありと記せるは則当社なり、記中に載せる城蹟図に出す所も今の地に合えり、幣殿拝殿あり、例祭二月十五日当村(岩原村)及塚原村の鎮守とす」とある。明治御維新の時上地し、八幡神社と改称し、足柄県より村社に列せられた。(神奈川県神社誌より)


岩原八幡神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 神奈川県神社誌