大松寺。南足柄市竹松にある曹洞宗寺院

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大松寺。旧龍穏寺の名代役寺院

大松寺の概要

曹洞宗寺院の大松寺は、竹園山と号します。大松寺の創建年代等は不詳ながら、かつては雲松寺と称する浄土宗寺院だったといいます。最乗寺第19世泰叟妙康和尚が大山不動へ参詣する途次、当寺で雨宿りをした際に当寺住持に曹洞宗への改宗を勧め、住持と約諾したものの、その後無住となってしまったことから、最乗寺住職天庵和尚が一寺に取立て大松寺と改号、曹洞宗寺院として開山したといいます。泰叟妙康和尚・天庵和尚ともに(最乗寺輪番の)龍穏寺出身だったことから、龍穏寺の名代役を勤めていたといいます。

大松寺
大松寺の概要
山号 竹園山
院号 -
寺号 大松寺
本尊 釋迦牟尼仏像
住所 南足柄市竹松767
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



大松寺の縁起

大松寺の創建年代等は不詳ながら、かつては雲松寺と称する浄土宗寺院だったといいます。最乗寺第19世泰叟妙康和尚が大山不動へ参詣する途次、当寺で雨宿りをした際に当寺住持に曹洞宗への改宗を勧め、住持と約諾したものの、その後無住となってしまったことから、最乗寺住職天庵和尚が一寺に取立て大松寺と改号、曹洞宗寺院として開山したといいます。泰叟妙康和尚・天庵和尚ともに(最乗寺輪番の)龍穏寺出身だったことから、龍穏寺の名代役を勤めていたといいます。

「南足柄市史」による大松寺の縁起

竹松村大松寺
同寺はもと雲松寺と称する浄土宗寺院であった。文明一〇年(一四七八) に最乗寺の第一九世住持となった泰叟妙康和尚が大山不動に参詣する途中に、雲松寺で雨宿りをした。同和尚は雲松寺の住持に改宗を勧め、同住持もごれを約諾したが、その後雲松寺は無住になってしまった。七年後最乗寺の住職となった天南(庵)和尚が同寺を訪ねたところ、無住で堂殿も壊れていたため、取り立てて大松寺と改めたという。両和尚ともに武州越生(埼玉県入間郡越生町)龍穏寺の住職であったことから、同寺が大松寺の本寺となった。
大松寺は住持と無住の時期を繰り返したが、その後、最乗寺の後見役である龍穏寺の名代役をつとめるようになり、常住の寺院になった。なお、最乗寺の住持が大山に参詣する際は、必ず大松寺に立ち寄り、一、二泊したという。(「南足柄市史」より)

新編相模國風土記稿による大松寺の縁起

(竹松村)
大松寺
竹園山と號す、曹洞宗(武州入間郡越生龍穏寺末)、開山玄彭(明應九年八月十七日寂)、本尊釋迦(往古彌陀を本尊とせしが、寛永五年の洪水に流失せし故、堂宇再建の後今の本尊に改しと云、)及不動(長三尺九寸、運慶作、)毘沙門(長三尺一寸同作)等を置、
△觀音堂
△白山社。神明熊野稲荷天神を合せ祀る、(新編相模國風土記稿より)


大松寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模國風土記稿
  • 「南足柄市史」