鈴鹿明神社。座間宿・座間入谷の総鎮守、旧郷社
鈴鹿明神社の概要
鈴鹿明神社は、座間市入谷にある神社です。鈴鹿明神社の創建年代は不詳ですが、欽明天皇の御代に創建したと伝えられます。当地は天平年間に鈴鹿王の所領であったことから社号がついたといい、江戸期には座間宿・座間入谷の総鎮守に、明治2年よりは座間郷(座間市、相模原市と大和市、海老名市の一部)の郷社に列格していました。
社号 | 鈴鹿明神社 |
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祭神 | 伊邪那岐命、素戔鳴尊 |
相殿 | - |
境内社 | 山王社、弁天社 |
祭日 | 例大祭8月1日 |
住所 | 座間市入谷1-3499 |
備考 | 座間・座間入谷の総鎮守、旧郷社 |
鈴鹿明神社の由緒
鈴鹿明神社の創建年代は不詳ですが、欽明天皇の御代に創建したと伝えられます。当地は天平年間に鈴鹿王の所領であったことから社号がついたといい、江戸期には座間宿・座間入谷の総鎮守に、明治2年よりは座間郷(座間市、相模原市と大和市、海老名市の一部)の郷社に列格していました。
新編相模国風土記稿による鈴鹿明神社の由緒
鈴鹿明神社
当村(座間宿)入谷二村の総鎮守とす。牛頭天王を合祀す。弘治2年(1556)再建の棟札あり。其文曰、奉遷宮鈴鹿大明神、再造成就処、相州田倉郡渋谷庄座間郷□藤原高家、弘治2年丙辰5月2日大檀那北条藤菊丸殿、又裏書に造畢之入目、五千疋、施主若林大炊助云々とあり。又元和6年(文中大檀那内藤清次郎殿と記す、按ずるに、時の地頭修理亮清政が初名を萬千代と称す。此人にや)寛文6年(久世大和守と記す)修理の棟札あり。例祭6月7日より14日に至る。此時天王の神輿を仮屋に遷し、入谷星谷寺の僧来て法楽す。
末社。稲荷、山王、弁天。
鐘楼。鐘に元禄3年の銘を彫る。
禰宜古木宮内、寒川神社神主金子伊予配下。(新編相模国風土記稿より)
鈴鹿明神社所蔵の文化財
- 鈴鹿遺跡(座間市指定重要文化財)
鈴鹿明神社の周辺図