座間神社。正和2年に飯綱権現社として創建、旧村社
座間神社の概要
座間神社は、座間市座間にある神社です。座間神社の創建年代は不詳ですが、正和2年(1313)に、飯綱権現社として創建したと伝えられます(欽明天皇の代に流行した悪疫を平癒した湧水を崇敬したことに始まるという伝説あり)。明治2年(1869)、飯綱神社、同9年(1876)には座間神社と改称、村社に列格していました。明治42年に天神社、浅間社、明王社、山王社、道祖神を当社境内へ奉遷、昭和3年に蚕神社を当社境内へ奉遷しています。
社号 | 座間神社 |
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祭神 | 日本武尊 |
相殿 | - |
境内社 | 天神社、浅間社、明王社、山王社、道祖神、蚕神社 |
祭日 | 例祭日8月30日、初天神の筆祭り1月25日 |
住所 | 座間市座間1-3437 |
備考 | 旧村社 |
座間神社の由緒
座間神社の創建年代は不詳ですが、正和2年(1313)に、飯綱権現社として創建したと伝えられます(欽明天皇の代に流行した悪疫を平癒した湧水を崇敬したことに始まるという伝説あり)。明治2年(1869)、飯綱神社、同9年(1876)には座間神社と改称、村社に列格していました。明治42年に天神社、浅間社、明王社、山王社、道祖神を当社境内へ奉遷、昭和3年に蚕神社を当社境内へ奉遷しています。
座間市教育委員会掲示による座間神社の由緒
座間神社
伝説によれば約千四百数十年前の欽明天皇のころに座間の里に悪疫(伝染病)が流行して村人たちは大変苦しみました。
その時、白衣の老人(飯綱権現の化身)が現れ、山すそから湧き出る清水を使うと良い、とすすめられました。
村人がそのお告げにしたがって、湧き出る水を汲んで飲み水としたところ、悪疫もおさまり、感激した人々が飯綱権現を祭ったのが、神社の起こりと伝えられます。
また、江戸時代の「新編相模国風土記稿」には正和2年(1313)に、「飯綱権現社」を勧請したと伝えられています。
さらに、明治時代の「皇国地誌残稿」には建久年間(1190-98)に悪疫が流行したとき、白衣の老人の教えで村人たちが日本武尊を祭ったと記録されています。
明治2年(1869)、飯綱神社、同9年(1876)には座間神社と改称し村社として飯綱権現と同じく防火の神でもある日本武尊を祭神としました。
この他に境内には
○明王地区にあった、明王山の明王社
○富士山公園内にあった浅間社
○キャンプ座間内にあった天神社・山王社・道祖神
○蚕神社(註:星谷寺内か?)
の六社が祭られています。
例祭は、8月30日。
また、1月25日の初天神の筆祭りが行われます。(座間市教育委員会掲示より)
境内石碑による座間神社(飯綱権現社)の由緒
第三十代欽明天皇の御代(今から1300年前)座摩郷(座間の古名)に悪疫流行し人々の困惑はつのるばかりであった。折しも森の中に泉水が湧出しているのを発見し、御神水であることを崇め、お社を創建し、飯綱大権現として奉祀するや、悪疫忽ち平癒したと云う。以後人々一切生業の守護神として恩恵を蒙っているのである。
正和2年再建、慶長7年領主内藤修理亮清成は社参して、武運長久、氏子の繁栄を祈念す。武家の崇敬奉祀も鄭重を極めたことが知られる。元禄11年8月8日社殿改築、明治9年11月24日座間神社と改称し、村社に列す。
境内に明治42年5月無格社である天神社、浅間社、明王社、山王社、道祖神を奉遷、昭和3年2月蚕神社を奉祀す。
大正5年8月18日神饌幣帛料供進神社に指定される。
昭和20年12月、社格制度は廃止され、現在神社本庁に登録された神社として、崇敬されている。(境内石碑より)
新編相模国風土記稿による座間神社(飯綱権現社)の由緒
飯綱権現社
神体立像、正和2年5月2日の勧請と傳ふ。例祭8月24日相撲を興行す、村持。
末社稲荷。
鐘楼。享保5年鋳造の鐘なり。
天神社(キャンプ座間)
村持下同じ。
浅間社(富士山公園)
末社に秋葉三峰を祀る。
山王社(キャンプ座間)
御嶽社
明王権現社(明王地区)
祭神詳ならず。村内星谷坂の側に小塚あり。御供坂と号す。相傳て昔当社祭礼の時塚上に供物を尊せし其遺名なりと云。 (新編相模国風土記稿より)
座間神社の周辺図