東曜山顕正寺。横須賀市東浦賀にある日蓮宗系単立寺院

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顕正寺。横須賀市東浦賀にある日蓮宗系単立寺院

顕正寺の概要

日蓮宗系単立寺院の顕正寺は、東曜山寶珠院と号します。顕正寺は、顯正坊日寶が天正元年(1573)に顯正菴と号して創建、寛永年間(1624-1645)に清田九右衛門より、その母(顯正院妙儀日受信女)の葬地である当地を寄進され、三世眞如院日恕の代に一寺としたとしたといいます。

顕正寺
顕正寺の概要
山号 東曜山
院号 寶珠院
寺号 顕正寺
住所 横須賀市東浦賀2-1-1
宗派 日蓮宗系単立
葬儀・墓地 -
備考 -



顕正寺の縁起

顕正寺は、顯正坊日寶が天正元年(1573)に顯正菴と号して創建、寛永年間(1624-1645)に清田九右衛門より、その母(顯正院妙儀日受信女)の葬地である当地を寄進され、三世眞如院日恕の代に一寺としたとしたといいます。

新編相模国風土記稿による顕正寺の縁起

(西浦賀)顯正寺
東曜山と號す、法華宗(金谷村大明寺末、)當寺域は東浦賀の町並にあり、されど飛地の如く、全く當所の屬地たり、舊は開山顯正坊日寶(文禄元年寂す)天正元年五月當所の内に菴室を營み、顯正菴と號せしを寛永中三世眞如院日恕(寛永十七年六月九日寂す、)が時清田九右衛門此地所持の地たるをもて更に寄附し、爰に移して一寺とせしとなり(鬼簿に顯正院妙儀日受信女寛永五年二月十二日と記すもの、即九右衛門が母なりと云ふに據れば、九右衛門母をここに葬しそれが爲に當寺を中興せしなるべし、)仍て日恕を中興とす、本尊三寶諸尊並に祖師を安ず、
番神堂。住吉七面の二像をも置く、(新編相模国風土記稿より)

浦賀行政センター協働事業・浦賀探訪くらぶ掲示による顕正寺の縁起

顕正寺
天正元年(一五七三)に顕正房日実大徳が結んだのが創建と伝えられる日蓮宗のお寺です。
本堂の右上手には中根東里の墓があります。東里は江戸時代中期の陽明学者で、晩年、浦賀へ移住しました。
近くには明治時代に歌会始めに招かれた浦賀の代表的な歌人の西野前知の墓があります。
本堂の裏手には直木賞作家の山口瞳、咸臨丸副艦長の春山弁蔵、浦賀奉行所与力で後に横須賀造船所の技師として活躍した岡田井蔵らの墓もあります。(浦賀行政センター協働事業・浦賀探訪くらぶ掲示より)


顕正寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 「横須賀市史史料」