東向山圓照寺。沈鐘信仰を裏付ける銅鐘
圓照寺の概要
日蓮宗系単立寺院の圓照寺は、東向山と号します。圓照寺は、日海上人(応永30年1423年寂)が応永5年(1398)に開山しました。当寺所蔵の銅鐘は、文政5年(1822)に漁師が走水沖から引き上げたもので、元徳2年(1330)の銘が残され、日蓮聖人と日朗上人の御真筆の経文二巻とともに沈められたもので沈鐘信仰を裏付ける全国唯一の例だといい、市の文化財に指定されています。
山号 | 東向山 |
---|---|
院号 | |
寺号 | 圓照寺 |
住所 | 横須賀市走水2-9-9 |
宗派 | 日蓮宗系単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
圓照寺の縁起
圓照寺は、日海上人(応永30年1423年寂)が応永5年(1398)に開山しました。
新編相模国風土記稿による圓照寺の縁起
(走水村)圓照寺
東向山と號す、日蓮(金村大明寺末)本尊三寶を安ず、開山は日海なり(應永三十年三月七日寂す、)(新編相模国風土記稿より)
境内掲示による圓照寺の縁起
円照寺(日蓮宗)
応永五年(一三九八)日海上人によって開山された寺で、本尊は三宝(仏法僧)です。
本堂には文政五年(一八二二)に漁師が走水沖から引き上げたという銅鐘が祀られています。
銅鐘にはお題目と元徳二年(一三三〇)の銘があり中に日蓮聖人と日朗上人の御真筆の経文二巻が納められ龍神に奉じたとあります。沈鐘信仰を裏付けた全国唯一の例で市の文化財に指定されています。
鐘は病気平癒の本尊として、おかね様と呼ばれ今は使ったお金が戻る鐘として信仰されています。墓地には幕末期に江戸湾海防に従事した会津藩士の墓六基、河越藩士の墓一基があります。(大津行政センター市民協働事業・大津探訪くらぶ掲示より)
圓照寺所蔵の文化財
- 銅鐘(市指定文化財)
圓照寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿