小坪須賀神社。森山神社へ渡御する三十三年大祭、鷺浦神社
小坪須賀神社の概要
小坪須賀神社は、逗子市小坪にある須賀神社です。小坪須賀神社の創建年代等は不詳ながら、当地に定住した石上氏(牛頭に対して牛尾と改姓)が牛頭天王社と称して祀ってきたと伝えられ、江戸期には小坪天照大神社と共に小坪の鎮守として祀られ、鷺浦神社とも称されていました。33年に一度の大祭では神輿が森山神社へ渡御、森山神社(佐賀岡神社)が女神、当社が男神と呼ばれています。現在は小坪天照大神社の境外末社となっています。
社号 | 須賀神社 |
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祭神 | 素戔嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭7月14・15日 |
住所 | 逗子市小坪6-6-7 |
備考 | - |
小坪須賀神社の由緒
小坪須賀神社の創建年代等は不詳ながら、当地に定住した石上氏(牛頭に対して牛尾と改姓)が牛頭天王社と称して祀ってきたと伝えられ、江戸期には小坪天照大神社と共に小坪の鎮守として祀られ、鷺浦神社とも称されていました。33年に一度の大祭では神輿が森山神社へ渡御、森山神社(佐賀岡神社)が女神、当社が男神と呼ばれています。現在は小坪天照大神社の境外末社となっています。
境内掲示による小坪須賀神社の由緒
小坪の総鎮守・天照大神社の境外末社で、須佐之男命(牛頭天王)を祀る須賀神社の「天王祭」は、毎年七月十五日直前の日曜日の本祭りを中心に行われます。
浜の旧四町内(南町、伊勢町、中里町、西町)が年番で指揮をとり、これに西谷戸町と東谷戸町が加わって運営されます。
神輿をはじめ、子供たちがたたく太鼓の音高く、お囃子を奏する各町内の山車が繰り出され、天王唄と共に廻る、小坪全体の賑やかなお祭りです。
また、三十三年に一度、須賀神社の男神を乗せた神輿が、葉山・一色の森山神社の女神を乗せた神輿の元に訪れて、二泊三日滞在し、共に一色町内を巡行するという、ロマンチックな神事が催されます。「三十三年大祭」や「行合祭」と言われ、前回は、平成八年(一九九六)に行われました。(逗子市・自然の回廊プロジェクト掲示より)
新編相模国風土記稿による小坪須賀神社の由緒
(小坪村)
天王社
是も鎮守なり、(新編相模国風土記稿より)
「逗子町誌」による小坪須賀神社の由緒
天王社
牛頭天王を祀る、子の神の西隣小坪駐在所の東にあり、古来鷺浦神社、須賀神社とも稱す、例祭は七月十五日にして各町順番に神輿を舁ぎ小坪第一の賑ひなり、特に三十三年毎に一色森山神社に神輿を舁ぎ行くの遺風あり、大祭と稱して其盛なること譬へんにものなり、里俗傳ふ、葉山村一色なる森山様(女神)と御夫婦にて三十三年に一回御宿りに行かせられるなりと、其時は一色より迎へに来り小坪より若者舁ぎて行き、森山神社に逗留七日にして小坪より迎ひに行く、其の時一色の若者舁ぎて送り来ると。
(中略)
(牛尾氏)今小坪分教場敷地一帶を大屋敷と云ひ石上彌二郎氏屋敷趾なりと傳ふ、石上氏は代々此地に住し、牛頭天王社を祭りて石上姓を改め牛頭に對して牛尾と稱せりと、(或は云ふ潮より来れるなりと)此天王社は今に小坪第一の賑はふ祭禮をなす。大屋敷の上の山に稲荷社あり。(「逗子市町誌」より)
「逗子市史別編民俗編」による小坪須賀神社の由緒
谷戸にある天王社(鷲浦神社、須賀社ともいわれる) の祭礼は小坪随一のまつりといわれ、毎年七月十四日、十五日に祭礼が行われている。十四日はヨミヤ、十五日はオタビという。祭典(委員は、南町、伊勢町、中里、西町の四町内から二名ずつ出すことになっており、四町肉が毎年交代で祭礼を行う。神輿は屋台にともなわれ、祭り曜子、天王唄で賑やかに町内を廻る。また、オオマツリといって、三十三年目毎に葉山一色の森山神社ヘ神輿を担いで行くことになっている。小坪の天王様は男神で、一色の森山様は女神で夫婦である、といい、三十三年間ごとに出かけて行くといわれる。(「逗子市史別編民俗編」より)
小坪須賀神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「逗子町誌」
- 「逗子市史別編民俗編」