宗泰寺。湘南七福神の大黒天
宗泰寺の概要
高野山真言宗寺院の宗泰寺は、海長山と号します。宗泰寺の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期の地誌「新編相模国風土記稿」に記載され、また当寺の十王像は貞享2年(1685)の作とています。湘南七福神の大黒天です。
山号 | 海長山 |
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院号 | - |
寺号 | 宗泰寺 |
住所 | 逗子市桜山7-7-1 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宗泰寺の縁起
宗泰寺の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期の地誌「新編相模国風土記稿」に記載され、また当寺の十王像は貞享2年(1685)の作だといいます。
新編相模国風土記稿による宗泰寺の縁起
(櫻山村)
宗泰寺
海長山と號す、同宗同末(古義眞言宗、逗子村延命寺末)本尊十一面觀音を置(弘法大師作、長二尺五寸、)(新編相模国風土記稿より)
「逗子町誌」による宗泰寺の縁起
宗泰寺
海長山と號す、古義眞言宗、本尊阿彌陀如来、逗子延命寺末、本寺に、昔閻魔堂にありし閻魔二體の像を祀る。(「逗子町誌」より)
宗泰寺所蔵の文化財
- 十王及び奪衣婆坐像(市指定文化財)
十王及び奪衣婆坐像
十王思想によると冥府には、泰広・初江・宋帝・五官・閻魔・変成・太山・平等・都市及び五道転輪の十王がいて死者が生前の罪を裁くと説いています。
宗泰寺十王像はいずれも寄木造で閻魔王と奪衣婆は玉眼入り、他は彫眼です。閻魔王像の底の墨書銘により貞享二年(一六八五)七月鎌倉扇ヶ谷の仏師加賀によって造られたことがわかります。台座の裏には本像を寄進した願主孫右衛門の名が記されています。このほかに三途の河のほとりにいて支社の着物を奪うといわれている奪衣婆の像がまつられています。(逗子市教育委員会掲示より)
宗泰寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「逗子町誌」